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神の御心を受け取る会

宣教戦略シンクタンク「RACネットワーク」福田充男

 

2010年1月8日から11日までの4日間、兵庫県三田市で、延べ30人の友人が集まって祈り会を開いた。関西地区だけではなく、北海道から2名、東京から2名、中部地方から2名の参加があった。海外からも、オーストラリアから1名、フィリピンから1名がかけつけた。

 

祈り会の目的は、年の始めに(特に、21世紀の第2デケード<10年>の初めに)、日本に対する神の御心を受け取ることだった。虚心坦懐に神に聞くために、予め何をするかを決めずに、導かれるままに柔軟に祈ったり話しあったりした。

 

収穫、郵便配達人、バトン、いやし、シンプル、畑、歌、愛という8つのキーワードでまとめてみた。

 

1 収穫

当初は、日本に起こると預言されている地震(マタイ24章7節参照)にどう対応するか、ということが大きな関心事だった。だが、次第にむしろ焦点を絞るべきことは、収穫にどう備えるかという課題だ、ということがわかってきた。

 

一日に、神が10人の回心者を教会に送られるなら、その人たちを育てることができるだろうか。1週間に100人ならどうだろう。1ヶ月に1000人の人たちを受け取ることは可能だろうか。もし今年100万人の日本人が救われるなら、教会はその人たちを育成する準備ができているだろうか。マタイの福音書25章1─13節に出てくる賢い娘たちのように、油の用意はできているだろうか。

 

神は日本の教会に、「わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。」(創世記22章17節)と約束しておられる。それが実現するようにと、あと10年間、ただ祈り続けることもできる。だが今、約束の実現に向けて、信仰のステップを踏み出すときが来ている。それは、収穫のための働き人を整えることだ。

 

2 郵便配達人

収穫のための働き人とはどういう人のことだろう。第1に、神が語っておられることを受け取ることができる人だ。「あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。」(ヨハネの第1の手紙2章27節)とあるように、聖霊によって、神の民はみな、神の声を聞くことができる。いわゆる「有力者」と見られている人たちだけではなく、「普通の人たち」が神の声を聞いて実行するようになる。

 

毎日、毎瞬間、ただイエス様だけに目を向け、イエス様からメッセージを受け取る。メッセージを受け取るのは自分が満足するためではない。神は隣人にメッセージを届けるために、私たちを用いようとしておられる。私たちはまるで、神に遣わされた郵便配達人のようだ。収穫のための働き人の第2番目の特徴は、神から遣わされて人々に仕えることだ。「仕えられるためではなく、かえって仕えるため」(マタイ20章28節)に来られたイエス様にならって、人々のしもべとして派遣される。

 

郵便とは言っても、預言的に言葉を取り次ぐというだけではない。神は「午前中に××さんに電話して励ましなさい」とか、「訪問して肩に手を回しなさい」とか、「ケーキを焼いて持っていきなさい」などというような、愛に基づく行為を届けるようにと語られる。私たちの存在自体が「キリストの手紙」(第2コリント3章3節)なのだ。

 

今回の祈り会では、他の参加者のための郵便配達人として働くという練習を含んだセッションを2回するように導かれた。また、インフォーマルな交わりの中でも、「徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話」(第1コリント14章3節)すという実践がなされた。

 

イエス様も、「ただ聞くとおりにさば」(ヨハネ5章30節)かれ、その模範を示された。オーストラリアから参加者したフィルが、時には涙を流しながら人々に預言する姿を見て、励まされた。神は私たちが、もっと日常的に生活の場で、神に聞きながら生きることを願っておられる。

 

3 バトン

1人のすぐれた人が、忠実な郵便配達人となることができたとしても、それだけでは大きな収穫に対応することはできない。「実りは多いが、働き手が少ない。」(ルカの福音書10章2節)だから、働き手が次々に育てられる必要がある。自分が受けた弟子育成のバトンを、次々と他の人に手渡していく必要があるのだ。収穫のための働き人の第3の特徴は、自分に死んで、他者に弟子育成のバトンを手渡すことである。

 

このような働き人の育成のために、必ずしも「おえら方」を招く必要はない。これも、普通の人たちが担うことができる。そのためには、教室の講義に頼らず、実践の場所でシンプルなスキルを伝えることが必要だ。まず、育成者が模範を示し、それを被育成者が観察する。だんだん被育成者に手伝ってもらって、彼らが育成者抜きで、責任をもって働くことができるようになるように、着実にスキルを手渡しいく。

 

バトンの手渡しは、普通の人たちが、組織やイベントがなくても、いつでもどこでもすることができる。一方、そのような文化が根付くためには、霊的な父親・母親の存在が求められる。祈り会の中で、霊的な父母として役割を果たそうとする50代前後の男女と、子ども世代の対話や執り成しがなされた。また、この祈り会をきっかけに、次世代を祝福する「父たち」(第1ヨハネ2章13─14節)のネットワークをスタートする機運が高まった。

 

4 いやし

互いに祈りあう中で明らかになってきたことは、多くの日本人が心に傷を抱えていることだ。12年連続3万人以上が自殺した。実際はその十倍だという説もある。日本宣教が困難(Hard)だという掛け声は敵の嘘である。問題は、皆傷ついている(Hurt)いることだ。だから、神の民にすでに与えられている聖霊の力が解放されることを通して、心がいやされる必要がある。

 

いやしについては、誰でも取り組むことができるシンプルな方法が流布される必要がある。もちろん、方法がいやすのではなく、主のあわれみと情熱が人をいやすのであるが、ダビデにとっての「石なげ」のように、神は私たちの手に合う実用的な手引を与えてくださるだろう。

 

すでに摂理によって日本で開発された方法もあるが、今後学ぶ必要のあることもあるので、精査して、シンプルなパッケージを再構築する必要がある。父親不在と深く結びついている働き中毒やその他の共依存、拒絶の連鎖からの解放と家庭の回復など、課題は大きいが、普通の人たちが生活の場で簡単に扱えるサイズの聖書的な関係重視のハウツーが求められている。

 

また、それらのいやしの働きは、イエス様がなさったように、神の国の「しるし」として、世界の中で実践されるようになる。いやしだけでなく、悪霊からの解放、奇跡、知識の言葉、預言などは、主に未信者の人たちの間でなされる。そこから、弟子育成ムーブメントが広がっていく。

 

5 シンプル

イエス様が取り組めとおっしゃっていることは、シンプルな3つのことだ。第1に、神の声を聞くこと。第2に、隣人を愛すること。そして、第3に、自分に死ぬこと。だから、毎朝神に「今日はどの人にどのように仕えたらよいでしょう」と聞いて一日を始めるべきだ。神が命じられることの中には、取り組みたくないこともあるだろう。しかし、そのひとつ一つの局面で、自分に死んで他者を愛する決断が迫られる。

 

これらのことは、「敬天愛人と自我の磔殺」、あるいは、「天外内の関係に生きる」などの表現で、すでに参加者の多くが学んで実践していることだった。しかし、改めてそのシンプルさに回帰することが、日本を開く鍵であることが確認された。

 

6 畑

神は、働き人ひとり1人に、耕すべき畑を与えておられる。つまり、その人でなければできないこと、その人を通してでしか届くことができない人たちがいる。社会が多様であるように、働きの領域も多様である。神は1人ひとりにタラントを与えて、それで商売をしなさいとおっしゃった。

 

自分に割り当てられた畑を忠実に耕し、神のために実を実らせることに集中し、他の畑で働く人たちに敬意を払うという態度が求められる。神は多様な方で、軍隊のように中央集権型の組織の中で、ユニフォームを着て戦えとはおっしゃらない。すべての働き人が、王である神に直接結びつき、自分に死んで、神から発する独自の働きを進めていく。

 

すると、やがて、あらゆる社会の領域に神の御心が浸透するようになる。収穫の向こうにあるのは、被造物全体が安息に入ること、つまり神の国の十全な現われである。

 

7 歌

参加者の間で、繰り返し語られたのは、昨年12月25日深夜にTBS系で放映された「クリスマスの約束 2009」という番組のことだった。総勢21組34名に及ぶアーティストたちが一堂に会し、それぞれの代表曲をメドレーで歌い継いだ。それぞれのアーティストが自分の歌を歌うとき、全員がコーラスにまわって支えた。22分50秒に及ぶ大メドレーとなったが、不思議な一体感が会場を包んだ。

 

確かに、「自分の畑を耕す」ということは、他の人が取って代わることのできない一人ひとりに与えられた責任なのであるが、その作業は単独でするものではない。からだには様々な部分があるが、それぞれが一つのからだとして結びあっている(ローマ12章5節参照)。1人の喜びは全体の喜びであり、1人の悲しみは全体の悲しみであるという関係がなければ、何も成し遂げることができないばかりか、たとえ何かを達成できたとしても、三位一体の神を経験することができない。

 

「あなたの歌を、私も一緒に歌わせてください」と申し出る交わりの中で、「私の歌を一緒に歌ってくれる仲間がいる」と肌で感じる関係の中で、多様だが一つの流れとなった「神のメロディー」が奏でられる。必ずしもいつも一緒に働くわけではないが、互いをリスペクトし、コアなファンになる(あるいは、恋に落ちる?)グループが、ムーブメントの発動機の役割を果たすのである。それは、使徒と預言者のチーム、あるいは霊的な父親たちのネットワークと考えることもできるだろうか。

 

8 愛

どんな働きが進められていくときも、愛が動機であり、愛が土台となって立ち上がり、愛によって結び合わされ、愛によって完成されていくという視点が、繰り返し確認されなければならない。さもなければ、人間の「肉」によって、神の働きがハイジャックされてしまう恐れがある。

 

収穫の畑に派遣されるのは、「羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた」(マタイ9章36節)神の心を自分の心とするからである。「これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。」(コロサイ3章14節)すべてのわざや働き人を結び合わせて一つにするのは、十字架にかけられたイエス様を通して現わされた父の愛である。

 

福田充男

2010年1月17日  阪神大震災15周年の日に