アーティクル

天外内トレーニング

日本でキリストの弟子となるために

宣教戦略シンクタンク「RACネットワーク」福田充男

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その13 弟子育成者の派遣

2-2-2原則

「イエス様の弟子は何人いたか?」という問いにどう答えますか。

 

12人が最初に出てくる数字です。ところが、ルカの福音書10章1節には、「主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。」(新共同訳)と記されています。

 

では、「72人」はどのように育てられたのでしょうか。

 

これは推測ですが、イエス様は「72人」の育成を12弟子に委ねられたのではないかと思われます。12弟子は2人組のチーム6組で活動しました。各組が12人ずつの育成を担当したと考えると、12人×6組=72人という数字がはじき出されます。

 

イエス様は、弟子育成の連鎖が次の層のリーダー(弟子育成者)たちに引き継がれることを意図されたのです。それはちょうど、パウロがテモテに「他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい」(第2テモテ2章2節)と命じたことと通底します。パウロの師匠であるバルナバから数えると、バルナバからパウロへ、パウロからテモテへ、テモテから忠実な人たちへ、忠実な人たちから他の人たちへと、世代を下って弟子育成のバトンが渡されました。

 

このようにねずみ算式に弟子が増える法則を、第2テモテ2章2節の数字を取り上げて、「2-2-2」原則と呼びます。

 

では、「72人」は、12人から受け取った育成のバトンをどのようにしたのでしょうか。彼らもまた2人組で遣わされました。ということは、合計36組の弟子育成チームがイスラエルの町々に派遣されたことになります。

 

自分たちが育てられたように、各組が12人ずつ育てたとするならば、全部で12人×36組=432人が育てられたと考えることができます。

 

復活のイエス様は、ケパと12弟子に会われた後、「五百人以上の兄弟たちに同時に現われました」(第一コリント15・6)と伝えられています。この500人余は、派遣された「72人」と、各地で弟子として育成された「432人」を合計した数に符合します(72+432 > 500)。彼らは祭りのためにエルサレムを訪れていました。

 

さらに、この500人が2人1組の弟子育成チームとして機能していたとするなら、合わせて250組の整えられた働き人が存在していたことになります。250組のチームが12人ずつ育てるなら、12人×250組=3,000人を育成することができます。

 

この数は、ペンテコステの日にペテロの説教を聞いた人のうち、「三千人ほどが弟子に加えられた。」(使徒2・41)という記事に符合します。3,000人が救われたときには、育成のための受け皿がすでに用意されていたということです。

 

神の国のウイルス

右に挙げた数字が正確かどうかは大きな問題ではありません。ただ、12人、72人、500人、3,000人と、6倍に増えた数がさらに6倍に増えてきたという事実の背後に、加算的ではなく、幾何級数的な増加の法則が想定されるということは言えるでしょう。

 

パウロは、「まるでペストのような存在」(使徒24・5)だと悪口を言われました。今風に言うと、「感染力の強いインフルエンザ保菌者のような影響力がある人」となるでしょう。

 

パウロの生き方に触れて、その教えに共感した人たちが、弟子となり、弟子として育てられ、さらに他の人を弟子として育てるという連鎖が起こりました。その結果、まるで伝染病が拡がるように地域に弟子が満ちていったのです。

 

「神の国のウイルス」は、人から人へと次々に伝染し、国や民族や文化の壁を越えて広がっていきました。このように、「弟子育成者を育成するという連鎖」が起こることが、大宣教命令を実行するために不可欠な道なのです。

 

連鎖反応をもたらす派遣

ここで、イエス様と12弟子が「72人」を派遣したルカの福音書10章1―3節の記事を元に、「弟子育成の連鎖」をもたらした派遣について天・外・内の順序で考察してみましょう。

 

「天」の領域で必要なことは、「収穫のために働き手を送ってくださるように祈」(ルカ10・2)ることです。イエス様が「実りは多い」と宣言されていますので、収穫の畑に出て行きさえすれば、平安の子に出会うことができます(ヨハネ4・35参照)。問題は、働き人が少ないことです。「狼の中に小羊を送り出すようなもの」(3節)と警告されても、神の国のために犠牲を払って宣教地に出かけて行く人々がいるなら、たとえその他のものがなくても、宣教の働きは進展します。

 

そしてこれらの働き手は、イスラエルの町々で「72人」を通して救いに導かれ、育成されていった人々です。働き手は、収穫の畑から起こされてきます。彼らはやがて他の共同体へと派遣されていきました。

 

「働き手が起こされるように祈れ」と主は命じておられます。この「祈れ」という言葉は、不正な裁判官に食らいつく未亡人のように、しつこく祈れという意味を含んでいます(ルカ18章参照)。それで私は、7年以上前から、祈りのパートナーとほぼ毎日、電話で祈ってきました。神は祈りに応えて、多くの働き手を起こしてくださいました。

 

「外」の領域で必要なことは、「さあ、行きなさい。」と言って、思い切って送り出すことです。派遣する側にとっては、自分で育てた弟子を、危険と隣り合わせの宣教地に派遣することは心配でしょうし、派遣される側にも、先輩や仲間たちと一緒に居られる心地良い場所を離れたくないという思いがあるでしょう。

 

しかし、自分を見込んで、福音を待っている人々のところに派遣されるイエス様の心を思い、意気に感じて出かけていくことが求められます。派遣が遅れれば遅れるほど、両者の共依存のリスクが高まります。

 

「内」の領域で必要なことは、同じ志が与えられた2人組を派遣することです。「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」(マタイ18・20)と主は言われました。

 

2人の交わりの中におられるイエス様に2人が同意すれば、派遣された場所で起こる様々な状況にも迅速に対処することができます。ところが、これが5~6人のチームだと、調整に時間と手間がかかるだけでなく、結局は「チームリーダーに任せる」ということになりかねません。

 

2人が互いに愛し合い仕え合いながら一致して働く姿そのものが、神の国のパワフルな表現の一つなのです。