アーティクル

天外内トレーニング

日本でキリストの弟子となるために

宣教戦略シンクタンク「RACネットワーク」福田充男

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その10 金銭管理

小さな衣料品店

ある人が田舎に帰って衣料品店を始めると言いだしました。友だちは皆、「君のような無口な人が商売なんてできるはずがない」と言って反対しました。ところが彼は言いました。「神様がおっしゃったことだから大丈夫だ」

 

まず彼は、売上の20パーセントを神様に捧げると決めました。何よりもイエス様を第一にしようと、毎朝従業員と一緒に店の中で礼拝をしました。

 

すると開店前から人が並ぶようになり、商売は繁盛しました。しばらくして近くに大手のスーパーが2つ建ちましましたが、 ビジネスを守ってくださるようにと神に祈っていると、2店とも撤退し、彼の小さな衣料品店だけが営業を続けることができました。

 

彼は、家族みんなで伝道も進め、町の人たちがたくさんイエス様を信じるようになりました。

 

金銭は目的? それとも手段?

「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(マタイ6・24)

 

まるで、神を愛するかのように富を愛する人たちがいます。また、神に仕えるかのように富に仕える場合もあります。富を重んじることは、私たちにすべてのものを豊かに備えて楽しませてくださる神を軽んじることにつながります。ソロモンはその危険性を知っていたので、「貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。」と祈りました(箴言30・8)。大切なことは、私たちに与えられた金銭をどう使うかという点です。

 

私たちは、まるでおつかいに出された子どものように、全世界に派遣されました。イエス様は「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」(ヨハネ20・21)と言われました。父は、子どもである私たちと一緒に働くことを大きな喜びとしてくださっています。

 

また派遣する以上、父は2つのものを必ず備えておられます。それは、「指示」と「リソース(資源)」です。指示は、原則的には「敬天愛人」であり、「敬天愛人」という生き方をする人々が世界に満ちることです。

 

そしてリソースの一つが、金銭です。「私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」(ピリピ4・19)

 

お金は、神の栄光と隣人の祝福のために神が与えてくださるものです。しかしそれは、人生の目的ではなく、手段なのです。

 

金銭管理の原則

金銭管理について、「天外内」の順番で整理して考えましょう。

 

「天」の要素は、神との交わりとしての献金の勧めです。

 

献金は、「香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物」(ピリピ4・18)です。献金をするとき、神に生かされていることを自覚します。また収入の一部を神に捧げることで、神への愛と尊敬と感謝を表わします。決して神を操作したり利用したりするために献金してはなりません。

 

収入の全部を捧げたとしても捧げ過ぎということはありませんが(第一歴代29・14参照)、「神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされ」(伝道者5・19)ました。私の喜ぶ姿を見て神が喜ばれるのです。だから、与えられた収入で慎み深く生活し、労苦の実を楽しみ、残った金銭は神にお返しして、御子のみならず万物を与えられた神に感謝するのです。

 

とは言え、余ったら捧げると考えていると、捧げるチャンスを失してしまいます。「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6・33) 収入を得た時点で、自分で割合なり金額を決めて、それを神のためにまず取り置いておくようにしましょう(第一コリント16・2参照)。「神は喜んで与える人を愛してくださいます。」(第二コリント9・7)真心から捧げて、神との交流を楽しんでください。

 

「外」の要素は、集めた献金を使徒的目的のために使うことです。

 

定期的に取り置いた金銭をどのように使えばよいでしょう。民主的な話し合いが必要でしょうか。それとも預言的に導かれるままに支出しましょうか。手がかりは「使徒たちの足もとに置き」(使徒4・35)という言葉です。

 

使徒とは、「遣わされた者」という意味で、福音が地に満ちるために派遣され、弟子育成ムーブメントの土台を築く者たちです。

 

「使徒たちの足もとに置いた」という意味は、第一に諸教会を巡回したり宣教地に派遣された「使徒的チーム」(エペソ4・11参照)が支援されたことを指します。ただし、当時フルタイムの働き人はいたのですが、定期的な給料や謝礼が支払われていたわけではありません。「その金は必要に従っておのおのに」(使徒4・35)分け与えられました。

 

第二に、各地に拡大する実践的な弟子育成プロジェクトのために献金が用いられました。使徒的チームの候補者の旅費や、長老と呼ばれた地域リーダーへの一時的な謝礼金などが支出されたと考えられます(第一テモテ5・17参照)。

 

第三の献金の使い道は、信仰共同体内の寄る辺無き人たちへの分配でした。金銭は、目的を意識して公平に分配されたので、「彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった」(使徒4・34)のです。

 

「内」の要素は、金銭への執着に対する警告です。

 

猿の手がやっと入る大きさの穴にエサを入れ、猿がエサを取ろうとしたら捕まえにいくという捕獲方法があるそうです。猿はエサを手放せば逃げられるのですが、欲に目がくらんで自分が捕まってしまいます。それと同じように、金銭を握る者は金銭に握られます。金銭を手放していないと、その奴隷にされるのです。

 

「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。」(第一テモテ6・10)、「金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。」(ヘブル13・5)

 

自分の内側に富への誘惑がないかを定期的にチェックする必要があります。回心直後の人には、すぐに最初の献金をしたり、定期的な献金の方針を決めるように導いてあげましょう。それは神に自分を捧げて生きるための重要なステップとなります。「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」(マタイ6・21)