アーティクル

天外内トレーニング

日本でキリストの弟子となるために

宣教戦略シンクタンク「RACネットワーク」福田充男

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その5 神の声を聞き分ける

全員聞くことができる

「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」(マタイ4:4)と、イエス様は言われました。神の口から出るという言葉は、絶えず言葉が出つづけていることを意味します。神は私たちに、いつも語りかけてくださっているのです。

 

それでは、誰が神の声を聞くことができるのでしょうか。

 

主が、ご自分に従う者たちを羊にたとえられるとき、私たちを誉めておられるのではありません。羊は臆病で無力な動物です。

 

しかしそんな羊にも、一つだけ素晴らしい能力があります。それは、羊飼いの声を聞きわけることができることです。それができなければ、羊は生き延びることができません。

 

良い羊飼いであられるイエス様は、「自分の羊をその名で呼んで連れ出」(ヨハネ10:3)してくださいます。そしてすべての信者は、神の声を聞き分けることができます。内住の聖霊により、神の言葉を聞くことができるようになったからです(使徒2:17−18参照)。

 

神の声を聞き分ける三つのこつ

神の声を聞き分けるための第一の「こつ」は、語っておられる方に注意を向け、意識して聞こうとすることです。

 

神の声を聞けない人がいるとするなら、その人は、神が個人的に日々語りかけておられることと、羊飼いの声を聞くことができるということを信じていない可能性があります。

 

神が最初、幼子サムエルを呼ばれたとき、彼は気づきませんでした。しかし「お話しください。しもべは聞いております」(第一サムエル3:10)と申し上げたときに、聞くことができました。「神がいつも語っておられ、その声を聞くことができる」という前提に立って聞き始めてください(ヘブル12:2参照)

 

神の声を聞き分けるための第二のこつは、失敗を恐れないことです。

 

ヘブル人への手紙5章14節に、「堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です」という言葉があります。

 

ミルクや離乳食以外の「歯ごたえのある」霊的食物を味わうためには、感覚の訓練が必要です。ここで、知性の訓練ではなく、感覚の訓練と書かれている点が重要です。

 

初めて自転車のサドルにまたがって、一度も倒れずにすいすい乗れる人はいないでしょう。自転車に乗るために必要な知識はさほどありません。サドルに跨がり、まっすぐに前を向いて、交互にペダルをこぐ、ぐらいでしょうか。問題は、知識ではなく、感覚を訓練することです。

 

では、感覚はどのように訓練すればいいのでしょうか。それは、何度も失敗することを通してです。失敗を恐れて乗り始めなかった人は、いくら自転車について勉強をしても乗れるようにはなりません。失敗を恐れず失敗から学ぶというプロセスだけが、感覚を身につける道なのです。

 

もし、聞き間違えたことがわかったなら、「神様ごめんなさい。聞き間違えました。次は間違わないようにさせてください」と祈ればいいのです。

 

神の声を聞き分けるための第三のこつは、段階的にステップを踏むことです。

 

ときに主は、「かすかな細い声」(第一列王記9:12)で語られます。しかし幸いなことに、聞き始める時点で、多くの場合言葉はすでに心の中にあります。「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださ」(ピリピ2:13)います。

 

心の中には志のほかにも、恐れや不安、迷いや焦りがあります。それらに気がついてがっかりする必要はありません。「人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる」(エレミヤ17:9)からです。ただ、「神が私の心に植え付けられた志は何ですか」と聞けばよいのです。

 

初めは、それが何かわからないこともあるでしょう。しかし、あまり慎重になり過ぎては練習になりません。「これかな?」と思うものを取り上げ、「神様、これがあなたからの思いだと思うのですが、どうでしょうか」と言ってみてください。口に出してみるのも練習です。

 

次に、口に出して祈り、自分の心に「フィット感」があるかをチェックしてください。違うと思ったら手放して再度トライすればよいのです。そして、もう一度自分の心を点検します。「そうだ」と思ったら、書いたり、誰かに話したりしてみてください。そして心に波風が立っていないかを調べてみましょう。

 

もし「フィット感」があるなら、「神様、これだと思います。もし、私が正しく受け取っているなら、次に何をすればよいですか」と祈ってください。その時、感覚を研ぎすませて、「向かい風」か「追い風」か、つまり神がその判断を支持されているかどうを思い巡らしてください。

 

いつまでも眺めていないで、「聞ける」と信じて、こういう心の作業を繰り返すことが大切です。祈ったり、書いたり、話したり、黙想したりしているうちに、「それっぽい」が「きっとそうだ」に、さらに「それに違いない!」と、確信が深まっていきます。

 

インストラクターの役割

トレーニングの時には、1分間黙想した後、「今、心にある思いを書いてください。一言書くと次が与えられることもありますから」と言います。すらすら書き出す人もいれば、一言で止まる人もいます。けれども、ほぼ全員が何かを書きます。それも信仰の第一歩です。

 

その後二、三人の組になって、互いに受け取ったと思うことを分かち合い、互いに祈り合います。この時点で大半の人が、導きを受け取ることに対する安心感を得るようになります。

 

短時間でも「何メートルか自転車に乗れた」という経験をすると、後で一人でも練習してみようという気になるでしょう。同様に、安全な環境で思い切って内にある言葉を意識化することの楽しさを味わうことが大切です。それがこのトレーニングの目的です。

 

インストラクターの基本的な役割は、正しい聞き方を教えることでも間違いを正すことでもありません。神の心を受け取ろうとして練習を始めた参加者を承認することです。肯定的要素に注目して励ますと、否定的要素は自然にフェイドアウトしていきます。

 

信仰生活の初期段階で神の声を聞き分ける練習を始めた人は幸いです。どんなに練習しても、経験を積んでも、聞きまちがえることはありますが、それを恐れていては、いつまでも聞くことができません。私たちは皆、神の声を聞くことができるのです。