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シンプリーチャーチ

宣教戦略シンクタンク「RACネットワーク」福田充男

[ 第10章 教会を始めてもいいですよ ]

 

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  1. はじめに
  2. 第1章  パラダイムシフト
  3. 第2章  聖域にメスを入れよう!
  4. 第3章  教会と神の御国
  5. 第4章  現在の神の御国と、まだ実現していない神の御国
  6. 第5章  では、教会とは何か
  7. 第6章  共に集まるとき
  8. 第7章  では、いったいだれがボスなのか
  9. 第8章  だれもがみな大切!
  10. 第9章  あなたはあっち、私はこっち
  11. 第10章 教会を始めてもいいですよ
  12.  ○付録
  13.  ○後注

 

第10章:教会を始めてもいいですよ

「ホリー、最近何回か集会に来なかったね。どうしたの?」と私(トニー)は尋ねました。

 

「私は子どもたちと一緒に来たいと思っているのですが、みなさんが集まっているとき夫のジョーは仕事をしているのです。私たちには車が1台しかありません。 でも、うちはみなさんのいるところからずいぶん離れていて、わざわざだれかに送り迎えしてもらうのは気が引けて。」と彼女は答えました。

 

こんなとき、どうしたらいいでしょうか。確かに、ジョーとホリーは私たちが集まっているオースティン市南部からは約20キロ離れたところに住んでいます。私たちは何をすべきでしょうか。

 

新しい教会を始める、というのはどうでしょうか。

 

 

私がホリーにこのことを提案したとき、彼女の答えに私は驚きました。ジョーはすでに、彼らの近所で教会を始めるべきではないかと彼女と話していたのです。 ホリーは彼女の家で集会をするならば、2つの家族が来るかもしれないとも言いました。さらに彼女は考えていましたが、最近教会に行かなくなったもう一つの家族のことも思い出し、彼らも来るかもしれないと言いました。

 

どのような教会でも、最も速く成長する一つの方法は新しい教会を開拓することである、ということがくり返し示されてきています。教会が大きくても、小さくても、新しい教会を開拓するという行為自体、新しいいのちを解放し、またもともとの教会にいる人々にも、 より多くの人々に福音を届ける必要があるというチャレンジをもたらします。大多数の人々の考える教会開拓には建物とフルタイムのスタッフが含まれているので、新しい教会を始めるという考えそのものに対処できずにいます。 しかし支出するお金のことを脇に置くなら(もちろんその他の犠牲は伴いますが)、突然、不可能に思えたことが十分可能なことと思えるようになるのです。

 

デビッド・ガリソンは、彼のすばらしい著書『チャーチ・プランティング・ムーブメント』(南部バプテスト連盟国際伝道局出版)の中で、クリスチャンになって間もない人々が新しい教会を始めていった多くの例を記しています。63

 

鍵は、これが当たり前のことであるという期待感を持つことのように思われます。そして、先を行っている人々の知恵と励ましを、すべての新しい教会のDNA そのものに注入するのです。 新約聖書には、パウロが一つの地域を短期間訪問し、そして急いで次の場所に行ったという事例が多く記されています。彼は新しく回心した人々を聖霊が効果的に導いてくださると信じました。彼は自分の王国を建設しようとしたのではなく、クリスチャンになった人たちを神の御国のためにゆだねました。 新約時代に起き、そして今日も多くの国において継続されている、福音の急速的な拡大は、普通のクリスチャンたちが効果的に伝道していることとはっきりと関連しています。2つ、3つの家族がイエス様の御名によって集まるときに「教会」が始まると理解するなら、 聖霊に導かれている人ならほとんどだれでも、その働きを促進することができるのです!。

 

 

最近、私はフェリシティーと共に、インドでなされた教会開拓についてのカンファレンスで講師を務めました。牧師たち、伝道師たち、10代の少女たち、年配の男性たち、博士号を持った人たち、非識字者の人たちなど、様々な人たちがそこに集っていました。 多くの人たちはすでに教会開拓に携わっていました。ある人たちはいくつかの教会をすでに開拓していました。どれだけ学んだかではなく、どれだけ情熱を持っているかによって、教会を始めたことのある人たちとそうでない人たちを見分けることができました。

 

シャンティは、かつてある漁村の富の女神に仕える女祭司でした。彼女は子どものときからその地域の寺院で何時間もその神を礼拝し、仕えるように努めていました。彼女はその霊性のゆえに人々から恐れられるようになりました。 ある日、最近クリスチャンに回心した彼女の弟が、イエス様がバプテスマを受けられたときに聖霊が鳩のようにくだったときのことを描いた絵を、彼女に渡しました。シャンティはこの絵を寺院にある偶像の中に付け加え、他の神々と共に、この絵をも拝み始めました。

 

ある日、その絵を拝んでいたとき、明るい光が輝き、その部屋を満たしました。何時間もの間、彼女は生ける神の臨在に包まれました。その体験を終えたとき、彼女は自分に何が起きたかを知りました。 彼女はキリストの救いのみわざを通して、クリスチャンになったことを弟に説明しました。シャンティは偶像を破棄したため、すぐに地域のヒンズー教の祭司に殴られました。 夫は彼女を家から追い出しました。食べるものも住む家も失った彼女は、6年間、物乞いをして生き続け、食べ物を買うお金がないときはいつも祈りと断食をしていました。

 

その6年間が終わろうとしていたとき、彼女は自分自身が物乞いでしかなかったにもかかわらず、一日に10人の人たちに食べ物を与えるようにと神がチャレンジしておられるのを感じました。このような苦境の中から、彼女が寺院から追放されたその村において、数年間に、 イエス様に従うようになった200人の人々からなる教会を建て上げました。毎週、この新しい教会に連なる約50人の若者たちのチームが、彼女と一緒に周囲の村々を訪れ、 主が彼らの人生においてしてくださったことをあかししています。

 

 

彼女と多くの若者たちも参加したそのセミナーが終わってから2週間のうちに、彼らは6つの新しい教会を始めました。何ということでしょうか!。私たちはどんな言い訳をすればいいのでしょうか。 私はフェリシティーと共に、自分たちが教えようとしたことに対して人々がこれほどまでに応答したことにチャレンジを受け、主の強い促しによって、私たちも過激で、急速な教会開拓の働きをすることにしました。 その同じ2週間に、私たちも新しい教会が2つ生み出されるのを体験し、また近い将来教会となっていく2、3の他のグループを始める手助けをしました。

 

神の民は解放され、派遣される必要があります。「あなたは教会を始めることはできない」などとだれが言いましたか。聖霊と神のことばは、あなたにも教会を始めることができると言っておられます。 使徒16:5には、教会が日々どのように成長し、増殖していったかが記されています。ある人たちは「それは読み込みすぎだ」と言うかもしれませんが、この箇所が意味することは、文字どおり、毎日教会が開拓されていったということではないでしょうか。 教会成長の概念が建物やフルタイムの働き人を探すことに基づいているなら、そのように読むことはできないでしょう。そして、教会を急激に成長する教会へと訓練することなど、とてもできないでしょう。

 

使徒8章に、クリスチャンたちが巣から追い出されるときに何が起こるかについて書かれています。ステパノの死(使徒7章)を通して、教会に対する厳しい迫害が起こりました。その結果は、衝撃的です!。使徒8:4にこう書かれています。 「散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。」すぐに、新しいクリスチャンたちの共同体がイスラエル中に、そして中近東のその周辺地域に広まっていきました。さらに、新しいクリスチャンたちの幾人かは、文化的な壁を越えて異邦人に福音を分かち始めました(使徒11:20)。 これと同じような教会の爆発的な成長を体験するには、私たちも迫害される必要があるのでしょうか。迫害が起こるときに本物のキリスト者たちが力強く成長していくことは、教会の歴史を通じて見られるしるしです!。 彼らは迫害を楽しんではいなかったでしょう。そんな思いを抱く人は一人もいません。しかし、キリストのからだは危機的なときにこそ力強く成長します。 私たちの時代において、中国、カンボジア、モザンビーク、その他の多くの国々で教会が尋常でない成長を遂げていますが、それらもこのことを証明しています。

 

実際のところ、教会が人間のコントロールから自由になるとき、つまり迫害や、リーダーシップの役割を理解している使徒的、また預言的な 人たちによって意識的に解放されていくとき、教会は最も速く成長します。それは整然としたものではないかもしれません。問題も生じてくることでしょう。しかしそれは生活上の問題であり、沈滞するという問題ではないのです。

 

 

最近、ジョニーとリタという夫婦を通してこのことが実際に起こりました。彼らは1年前、私たちの教会で月1回行っているセレブレーションに初めて参加し、それを通して私たちの家で行われている集会のことを知りました。 私たちの集会のことをそのようにして知る人はとても稀でした。それよりも前に、主は彼らに自分たちの家で何かを始めるようにとチャレンジを与えておられましたが、彼らはそのようなことをしている人が他にいるのか知りませんでした。 自分たちの家で教会を始めてもいいのだろうかと思っていたのです。ジョニーとリタはセレブレーションで良いときを持ち、私たちに「必ずまた来ます」と言ってくれました。彼らは2週間ほど休暇を取ることにしていたので、私たちは彼らが休暇から戻ってきた後に夕食を共にすることにしました。 そして彼らと共に食事をしたとき、彼らは次の日曜日に自分たちの家で教会を始めることにしたと私たちに話してくれました。そのときの私たちの驚き(そして喜び)を想像してください。

 

でも、ちょっと待ってください。彼らは私たちに許可を求めたのではありません。彼らは今存在する家の教会にきちんとつながっていたわけではありません。もしかしたら、彼らの神学は正統的なものから少しはずれているかもしれません。 このような思い、またその他のいろいろな考えが私たちの心に浮かびました。しかし聖霊が彼らに何かをするようにと語られ、彼らはそれをしようとしているのです。私たちの許可など、どうして必要でしょうか。 次のセレブレーションのとき、なんと彼らは10人の人たちを一緒に連れてきました。新しい教会の開拓が成功したのです。

 

では、どこから始めればよいのでしょうか。まず、あなたの周りにいる人たちからです。私たちは子どもたちの友達全員と一緒に始めました。毎週日曜日の朝、近所のいる子どもたちを招いて、たくさんの朝ごはんを食べ、それから聖書の学びをしました。 私たちは、日曜日の朝、道で遊んでいる子どもを見かけたなら、その子の家族は教会に行っていないと仮定しました。その子たちは食事を終えて帰るのではなく、遊んだり、交わりを持ったりするために集会にも残りました!。また、私たちの仕事上の関係者たちと、箴言を用いた伝道的な聖書の学びを始めました。 私たちは、この地上で最も賢かった人が富について何を語っているかについて一緒に考えましょう、と言って彼らを誘いました。始めてからの1年間に、そのビジネスマンの聖書の学びに来ていた12人の人たち全員が、クリスチャンになる、あるいは主に再献身する決心をしました。

 

だれもが近所の人たち、職場の人たち、あるいはその他の人たちと関係を持ち、影響を与えています。イエス様は私たちにこう祈るように教えられました。 「御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。」それが現実のものとなるには、私たちは自身が自分の祈りに対する答えとなる必要があります。64私たちは主によって導かれたすべての場において、神の御国(支配)が確立することに関わるために備えておく必要があります。 私が妻のフェリシティーと共にロンドン市の東端に住んでいたとき、私たちが最もよく接していた人たちは医療を通して出会う人々でした。私たちは家庭医療に携わっていました。イギリスの文化においては、神は自分とは関係がないと人々は見なしています。 必要を抱えている人たちは教会に行くことをあまり考えません。その代わり、家庭医療をする医者のもとに行くのです。出エジプト記15:26を意訳すると、こうなります。「私は主、あなたの家族のかかりつけの医者である。」家庭医として患者に対し、彼らを愛し、肉体的にだけでなく、本当のいやしを与えてくださる主について話をしてはいけないでしょうか。 私たちが家庭医療をし始めてからの数年間、文字どおり、数百人の患者が主を信じました。彼らは私たちが開拓した教会の核となり、25年経った今でもその教会は力強く成長しています。

 

 

復活の主によって使徒的、預言的な賜物が与えられた人たち(エペソ4:7−11)が教会の開拓において役割を果たすことも、もう一つの重要な要素です。彼らは、新しく生まれてきた教会が必要とする、霊的な成熟さと聖書的な土台を提供します。 再びすばらしい小冊子である『チャーチ・プランティング・ムーブメント』に触れますが、そこにも記されているのは、教会開拓のビジョンを持った使徒たちや預言者たちが、おもに隠れた仕方で微妙な調整もしながら、 人々をこの働きのために遣わす、ということです。子が何かを学ぶとき、親の模範を見、教えを受け、それから自分で行いますが、私たちが教会を開拓するときも、そのことについて召命と情熱を与えられた人たちによって派遣されていきます。 そして私たち一人一人が、「私はここにおります。私を遣わしてください」と主に応答することによって、私たちはすべての近隣地域、職場、社会的地位、さらに社会区分全体にイエス様の福音を伝えていくことができるのです。

 

ではどのようにして始めればいいでしょうか。祈りましょう。祈り続けましょう。主が新しい教会を始めたいとを願っておられるとあなたが信じる地域で、プレヤーウォーキングをしましょう。65 あなたが通っている学校で祈り、そこに臨在を示してくださるように主に求めましょう。私たちは祈るために最高裁判所の許可を得る必要はありません。66神があなたに与えられた思いを人々に話してみましょう。 あなたと同じビジョンを共有する人のもとへ導いてくださるように神に求めましょう。私たちは2人ずつで出ていくほうが一人でするよりも多くの力を得ます。ルカ10章には、イエス様は70人の弟子たちを派遣されたとき、イエス様が行こうとしておられたすべての町、すべてのところへ行くようにと命じられました。 すごいことです!私たちはイエス様が来ようとされる道へ行き、整えることが許されているのです。当時の弟子たちのように、神についてもっと知りたいと願い、家、教室、事務所などを開放してくれる「平安の子」と出会うことを、私たちも期待すべきです。67

 

聖霊があなたに自由を与えられるなら、とにかく教会を始めましょう!。聖霊があなたを導いてくださいます。あなたの先を行っている他の人たちに助けを求めましょう。あなたよりも多くの体験を積んできた人たちからの助言を歓迎しましょう。その人たちと関係を築きましょう。 あなたが始めるハウスチャーチが、すぐに他のハウスチャーチを開拓し始めていくことを期待しましょう。それをあなたのDNAに組み入れましょう。コントロールするのではなく、派遣するように努めましょう。 積極的に伝道しましょう。あなたがイエス様について語るときのみ、人々はイエス様について聞くことができるのです。「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」68 友情関係を築くことは不可欠です。 人々は説教されることは望みませんが、あなたが彼らを変えようとするのではなく、彼らを愛していることを知りたがるのです!。自分の家や生活を開放している普通の人たちが、自分の家で教会を始めることができるということを発見しています。 人々をもてなしましょう。それは教会のすべてのリーダーに求められる基本です。69いわゆる「資格」がないということで躊躇しないでください。神からの召命だけで十分です!。

 

では、人々を自分の家(あるいは職場、学校、病院など)に招いて集会をするとき、何をすればいいでしょうか。初心者の人たち、どうぞパニックにならないでください。 イエス様は、聖霊が何を言うべきか教えてくださるので、何を言おうかと心配することはないと言われました。70これは家でする教会です。だれもがアットホームな思いを抱けるようにしてみたらどうでしょう。私たちが知っている最善の方法は、いつも食事から始めることです。 職場でする集会でも、ピザをとってみんなで食べることから始めます!人々は食事をするとき心を開きます。リラックスして、自分のこと、自分の置かれている状況について話し始めます。 自然な仕方でイエス様を会話の中心にする、そのような雰囲気を作りましょう。ここに来た人たちは「集会」をするためにみんなで集まっているということを理解しています。 あなたがこの時間、何に焦点を合わせるかについて、だれもがあなたに任せています。食事をしながら、これからどのように時間を過ごすか説明しましょう。分かち合い、祈り、聖書の学びなど、すべてにおいて全員が参加するように導きましょう。 自分だけが話を独占しないようにします。Iコリント14:26には、私たちが集まるとき、「それぞれが」何かを分かち合い、貢献するようにと書かれています。 集会で聖霊がしておられることに対して一人一人に応答する機会を提供するとき、的を射たワクワクするような内容の分かち合いがなされるだけでなく、多様性のあるすばらしい時間を過ごすことができることにあなたは驚くことでしょう。

 

 

教会を開拓する人たちに対して、私たちは「KISS 原則」、つまり「いつもシンプルに、面白おかしく(Keep It Simple,Stupid)」するように教えています。自分自身をリーダーとしてではなく、進行役と考えるようにしましょう。 聖霊にゆだねるなら、聖霊がリーダーとなってくださいます。聖霊と親しい関係を築くことを学びましょう。聖霊と語り合いましょう。あなたの心に語られる聖霊のささやきを受け入れましょう。ヨハネ10章に書かれているように、「わたしの羊はわたしの声を聞く」という体験をすることができるように、主と共に歩みましょう。 まだクリスチャンになっていない人たちも含めて、すべての人たちに対して、彼らの貢献を求めていること、必要不可欠であることを伝えましょう。いつも答えを提供することは避けましょう。 実際のところ、私たちは一人一人の発現を重要なものとして受けとめる雰囲気を作りながら、神のことばのうちに答えを見つけることにしています。みことばが直接語りかけることができるように、関連する聖書箇所を示すことを学びましょう。 そうしないなら、あなたが言うことが最終的に正しいこと、本当のことである、という印象をみんなに与えてしまうことになります。

 

教会が成長し始めたなら、自分の家で新しい教会を始めることを考えるように促しましょう。集会に集まる人数が増えれば増えるほど、一人一人の参加の度合いは減っていくことは明らかです。 ほとんどの家のリビングルームでは20人くらいでいっぱいになると思いますが(訳注:アメリカの標準的な家の場合)、それ以上の人たちが集まるようになったら新しい教会を始めるべきです。 もしなおもリーダーのこと(つまり牧師)や施設のこと(つまり教会堂)のことを考えるなら、新しい教会を開拓するスピードを制限することになります。 訓練を受けたフルタイムのリーダーや、特別な建物を必要とするという条件のもとでは、教会を日々開拓していくことはできません。しかし、ある地域において家々でなされる教会が成長し始めるなら、毎週、そして主の時には毎日、新しい教会が始まるときも来るのです。

 

『プライスライン・ドット・コム』のすばらしい広告が言うように、「これは大きくなる、本当に大きくなっていきますよ。」私たちはそうなることを祈っています!。

 

この『シンプリー・チャーチ』を読まれ、シンプルチャーチについてより知りたいと思われる方は、 http://www.house2house.net(英文)にアクセスされるか、または、(512)282‐ 2322 にお電話ください。

 

 

 

©著作権:2002 Tony and Felicity Dale 2006 日本語版発行
発行者:日本バプテスト宣教団(SBC IMB PacRim JO)メディア部
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