アーティクル

日本人のニーズに合った証言アプローチ

(『恵みの雨』2月号)

宣教戦略シンクタンク「RACネットワーク」福田充男

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ニーズに応じたアプローチ

もとより、上の三つのニーズは、輪郭の明確なカテゴリーではない。むしろ、1人の人の中に、これら三つのニーズが同居していると考えた方が自然である。ところが、実際の証しの場面では、福音を伝える対象者の中で何が優勢となっているかを見分けることに実践的なメリットがある。

 

そこでここでは、それぞれのニーズに合わせたアプローチをシミュレートする。特定のニーズを持つ人々の心を開く鍵となる概念を探しだし、イエスさまをどんな方として紹介するか、また、どのようにチャレンジするかを検証する。さらに、有用と思われる関連聖句を二つずつ挙げる。

 

霊的な力の満たしを求める人へのアプローチ

聖書は、資格なき者に注がれる恵みや、変わらない「召しと賜物」について教えるが、清めを力の現われの前提と見る思想も含んでいる。霊的力を求める者に対して「清め」を話題にし、身代わりに汚れを負われたイエス様を提示する。そして、「自分で清くなろうとしないで神の清めを受け取るように」とチャレンジする。

 

  1. 生きとし生けるものの生命を支える「生命の源である清い父なる神」がおられる
  2. 神は「心の清い者」に、霊的な力を満たして、隣人にいやしと輝きをもたらされる
  3. 人間の心の底には深い闇と汚れがあり、努力しても自分で清くなることはできない
  4. 父は御子イエスさまを遣わし、十字架ですべての汚れを引き受けさせられた
  5. 自力で心を清めようとする高慢を捨て、神の清めを受け取るなら聖霊に満たされる

 

聖書箇所としては、「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」(エペソ一章二三節)と、「心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。」(マタイ五章八節)などが適当だと思われる。

 

温かい交わりを求める人へのアプローチ

温かい交わりを求めている人は、誰がどれだけ受け入れてくれるかに注意を向ける。初めは受け入れてくれても最終的には傷つけられるのではないかと恐れている人に対して、「傷つけるどころか身代わりに傷を受けられたイエス様」を証しする。そして、「要塞の扉を開いて神に守ってもらいましょう」とチャレンジする。

 

  1. 傷ついた私をだれも助けることはできない。自分の要塞の中で「こもる」しかない
  2. イエス様は、私が受けるべき傷を十字架で代わりに受けてくださったやさしい方
  3. 扉を開いてイエス様を受け入れると、神様が私の要塞となって守ってくださる
  4. 神はあなたを喜び、いつくしみ、弁護し、守り、あなたのペースで育ててくださる
  5. 受け入れあい、諭しあい、育てあう神の家族の中で、心のやすらぎと満足を得る

 

聖書箇所は、「岩の裂け目、がけの隠れ場にいる私の鳩よ。私に、顔を見せておくれ。あなたの声を聞かせておくれ。あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい。」(雅歌二章一四節)や「彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ書53章5節)などから適宜用いる。

 

生きる実感を探している人へのアプローチ

変わらない日常を生きる人たちは、「生きる実感」を探している。それを得ようと努力する者は、自らの不甲斐なさを知る者でもある。イエスさまは十字架上で、真に自制されただけでなく、人々の解放のために祈られた。自我という馬を制御するための手綱を手放し、イエス様と1つとなろうとチャレンジする。

 

  1. 食べて排泄し老いて死するのが人生か? 生まれてきた以上、人生には目的がある
  2. 人の目には「頑張っている」と見えても、自分をコントロールすることはできない
  3. イエス様は十字架で、神の力によって自我を解放し、罪人の解放のために祈られた
  4. 手綱を握る手を放し、イエス様と一体となるとき、本当の自分になることができる
  5. 罪の奴隷である人々を解放し、真の自由を得させる「やりがいのある仕事」がある

 

「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」ピリピ一章二一節)や、「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ二章二〇節)などの聖書箇所が関連している。

 

三類型の用い方

信じるためには知識が必要であるが、知識が豊かなら神との人格的な関係に入るというわけではない。たとえば、結婚の場合でも、相手のことを全部理解できたら結婚するのではなく、むしろ一緒に暮らしはじめた後に日々相手を発見していく。準備は大切だが、実際には、「理解できていなかったこと」を結婚後に理解するのである。

 

自分で清くなろうとしたり、自分を守ろうとしたり、自力で人生を切り開こうとすることをやめて、イエスさまに委ねていこうと思うなら、それが接触点となる。イエスさまに従う決心まで導くことは重要だが、祈りの関係が始まるために、難解な教理を詰め込む必要はない。

 

未信者に接したときに、分類の枠組みが念頭にあると、伝道の賜物のない人もタイプを見分けやすいだろう。ニーズに合ったアプローチを取ることによって、個別の問題に苦しむ人に神を示すことも可能となろう。「質問の答えがキリストにある」と彼らが思うなら、神との関係を結ぶというステップに踏み出しやすくなるに違いない。