アーティクル

習うより慣れろ―日本における草の根弟子育成プログラムの一事例

Practice Makes Perfect―A Case Study of a Japanese Grass-roots Discipleship Training

『宣教学ジャーナル』(第3号)より転載 / 宣教戦略シンクタンク「RACネットワーク」福田充男

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Ⅲ.集中こそ力

1.新しい習慣を身につける

最新の脳科学の研究によると、「飴と鞭」型の賞罰による操作や、「あなたは世界に一つだけの花」と語る来談者中心の支援は、長続きする継続的な変化を人々に与えないことがわかってきた。デイビッド・ロックは、脳科学者ジェフリー・シュワーズの理論を援用して、知識ではなく「集中こそが力」だと論じる。私たちの脳は幼少期にほとんど変化の余地のないほど結びついてしまい、年齢を重ねるにつれて、神経細胞が次第に死滅していき、神経細胞の結合が弱くなっていくと、20年前までは考えられていた。ところが、現在の定説は、脳は身の回りに起こる出来事に反応して、瞬間瞬間に、無数の新しい認知地図を作り出すというものだ。あらゆる考え、言葉、アイデアや、食べたり、練習したり、自己定義したりするすべてのことが、脳内に新しい回路を作り出す。問題は、回路を開くことではなく、その記憶が行動様式として定着することなのである。

 

脳科学者は、思考(暫定記憶)を習慣(深層記憶)として定着させることは、それほど難しくないと言っている。新しい認知地図に、十分に注意を向けることで、それが脳に確実に植え付けられる。そのために重要なことは、第一に、生活を変えたいと思っている本人が、課題に対する新しいアプローチの仕方に気づくことだ。人々の生活に変化をもたらすためには、他者から洞察が結論として与えられるのではなく、変化を待ち望む人自身の内側から生じる必要がある。第二に、肯定的なフィードバックが神経回路の構成を強固にする。脳は、にこにこしながら、「よくやっているね」と言ってもらう必要があるのだ。第三に、ある程度時間をかけて繰り返し記憶することを試みることだ。新しい行動様式として生活に組み込みたいと思っている洞察が何なのかを確認し、それを繰り返し思い出すように助ける友がいて、思い出させるための装置があるなら、新しい習慣を身につけることは容易になる。

 

さて、このように新しい認知地図が創造されると、古い配線との間に矛盾対立が起こるのではないかと考える人もいるだろう。しかし、心配する必要はない。脳内では絶えず、「神経科学のダーウィン説」と呼ばれる現象が起こっている。脳は絶えず、使わなくなった接続路を切り取って排除している。だから、習慣を変えたければ、望まない習慣にエネルギーを注ぐことをより少なくすればよい。古い回路を消滅させようとするのではなく、新しい解決策に注意を向けていくときに、古いものは自然に消えていく。別の角度から述べるなら、脳は常に新しい認知地図を作り出すが、それは壊れやすく繊細な存在で、日常生活の一部となるほどに定着するためには、それらの新しい回路に注意を向け続ける必要があるのだ。

 

2.弟子育成の鍵

この三つの習慣化へのプロセスを、弟子育成の視点で見るなら、弟子育成の第一の鍵は、神に従うことがいかに新鮮でわくわくする経験かということが、身近な人間の「生きた模範」を通して、共同体の中で証しされることだと考えられる。詩編119編103節には、「あなたの仰せを味わえば/わたしの口に蜜よりも甘いことでしょう。」と記されていて、神への従順を通して受ける喜びが証しされている。弟子たちは、イエスが、「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」(ヨハネ4:32)とおっしゃったとき、遣わしてくださった父の御心を行なうことがいかに報いの大きいことなのかを想像したに違いない。やがて、彼らがイスラエルの町々に派遣されたとき、今度は弟子たちが「生きた模範」になり、彼ら自身の存在と態度が、魂の刈り取りの尊さと喜びを証言するようになった。そして、人々の内側に、神への従順の結果を待ち望む姿勢を形成したのである。

 

第二の鍵は、神の「受容的な視点」で人々を見ることだ。フィリピ人への手紙4章8節には、「すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい」と勧められている。イエスはシモンに目を留めて言われた。「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ―『岩』という意味―と呼ぶことにする」(ヨハネ1:42)。イエスは、この弟子の信仰告白というケファ(岩)の上に、ご自身の教会が建つことを予見しておられた。だから、イエスはケファとの最初の出会いから、彼に未来の姿を重ね合わせて、預言的な名前を呼び続けられた。育成者は被育成者の内側を見て、そこにある可能性にわくわくしている必要がある。被育成者は、育成者のそのような「受容的な視点」を通して、神がどのように自分を愛し、自分の存在を喜んでおられるかを知り、ますます神に従おうと思うようになる。

 

第三の鍵は、日常生活の中で、自分が取り組むべきことを、継続的に思い起こすための「アカウンタブルな人間関係を意識させる仕組み」があることだ。申命記 6章7ー9節には、粘り強い子弟教育の姿が描写されている。「子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい」。子どもだけではなく成人にも、直面すべき課題を肝に銘じて、いつも思い出すための仕組みが必要だ。箴言7章3節には、「それをあなたの指に結び、心の中の板に書き記せ」と命じられている。共同体の中で、ただ優しい受容的な言葉が交わされるだけでなく、神の命令に従うことを健全にチャレンジし合うような「アカウンタブルな人間関係」が結ばれる必要がある。パウロも次のように命じている。「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい」(コロサイ3:16)。

 

神への従順がいかに喜びに満ちたものかということを体現する証し人の「生きた模範」があり、愛に満ちた「受容的な視点」で人々に接し、相互に健全にチャレンジし合う「アカウンタブルな人間関係」を重視する育成の枠組みがあるとき、ただ教えてもらうだけの人々から、自発的に神の御心を行なう人々へと変わるプロセスを促進することができる。「わかりやすく」教えさえすれば、教えられた人はそれを行なうことができるという社会通念には根拠がない。草の根弟子育成プログラムは、模範と受容とアカウンタビリティーという三つの要素を育成の原則とした、シンプルな弟子育成のパッケージである。このようなプログラムが宣教の最前線で実施されることが、「イエスのような生き方というウィルス」が、地に蔓延するようになるための重要な要素なのである。

 

3.デボーションとアカウンタビリティーグループ

「天外内トレーニング」の「天」、「外」、「内」は、それぞれ、1)神との交わり、2)世界とのかかわり、3)自己の内面との関係、及び弟子間の内輪の交わりという、弟子の活動の三つの関係領域を示している。起床直後のデボーションでは個人的に、週一回のアカウンタビリティーグループでは互いに、この三つの関係領域の中で、どのように生きたかを、チェックするように導く。毎日、毎週、時間を定めて、日常生活の中で取り組むべきことに、継続的に思いを向けるためのシステムである。

 

デボーションでは、起床直後に、天に名が記されていることを喜んだ後、すぐに続けて天外内の三つの領域のそれぞれについて二つずつ、計六つの質問を神に向かってするように教えている。第一と第二の質問は、神との関係を確かめるためにする。最初の質問は、「私のことをどう思っておられますか」という質問である。たとえば、「わたしの目にあなたは価高く、貴く/わたしはあなたを愛し」(イザヤ43:4)ているとか、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(マルコ1:11)等の言葉を、質問の答えとして受け取るようになる。

 

第二の質問は、「今日、何をせよとおっしゃっていますか」という質問である。トレーニングセミナーの中では、神の思いを受け取る練習をするが、成長して成人となるために、「善悪を見分ける感覚を経験によって訓練され(ヘブル5:14)る必要があると教える。そして、神が語られていることに意識を向けつつ、「どうぞお話しください。僕は聞いております」(Ⅰサムエル3:10)と言って、神の心を受け取る練習をする。練習なので、間違ってもよいということを確認する。試行錯誤しながら練習を始めなければ上達することもない。多くの人は、初日に「羊はその声を聞き分ける」(ヨハネ10:3)という真理を経験し、翌朝から神の声を聞く生活を始めるようになる。

 

第三と第四の質問は、弟子が「外」、つまり「世界」に対して働きかける領域についての質問である。「今日は誰に仕えたらよいでしょうか」と「今日は誰に福音を伝えましょうか」という二つの質問だ。「天」に関する質問で、自分たちに対する神の心を受け取った人たちは、「外」に関する質問で、世界を愛して弟子たちを派遣される神の思いをも受け取る。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか」(イザヤ6:8)という声に応答する機会を設定するという意味がある。世に出かけて行ってすることは、イエスが弟子たちに仕えられたように、人々に仕えることと、イエスが救い主であることを証言することだ。この二つのことはコインの両面である。よく仕える弟子は信頼され、存在そのものがキリストの偉大さを証言するようになる。

 

第五と第六の質問は、「内」、つまり「内側」と「内輪」に関する領域を扱う。「24時間以内に罪を犯しましたか」と「今日、すでに弟子となった隣人の誰に、どのように愛を示せばよいでしょう」という二つの質問である。性・金銭・名誉・交わり・権力の各領域において、神の心を悲しませることをしたかどうかを思い巡らし、思い当たることがあれば正直に告白して、神から赦しを受け取るようにする。また、今日一日の間に、弟子仲間の誰に、どのように具体的に愛を表現するかを、教えていただく。神に質問して、具体的な答えを受け取ることができない場合もあるが、一日の初めを、隣人に仕える気持ちで始めることは有益である。「互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」(ヨハネ13:35)とあるように、弟子たちの良好な関係を見て、周囲に「親密な交わりに対する飢え渇き」が起こされ、その交わり自体がキリストを証言するようになる。

 

以上が、「天外内デボーション」と呼ばれている日課の概要だが、「天外内組」と名付けられたアカウンタビリティーグループでも、数人の同性の弟子仲間で、週一回、同じような六つの質問をする。ただし、第一の質問は、「一週間の間に、神がともにいてくださったなあ、と思うときがありましたか」に置き換える。また、第二の質問は、「一週間読んだ聖書の言葉を通して、神が語られたことがありますか。また、それをどのように実行しましたか」に置き換える。回心した日に、回心者が他の誰かとこのグループを始めることができるように、組み合わせを決めることが原則となっている。一週間以内に、一人か二人の同性の先輩の弟子と、互いに罪を告白することができるほどの親密な関係を結ぶようになるためだ。

 

先輩の弟子をも含むすべての弟子は、誰かを育てるためではなく、自分の従順と成長のために、アカウンタビリティーグループに所属する。しかし、新しい弟子は、先輩がどのように神の前で生きているかという模範と葛藤を身近に見て、影響を受けるようになる。また、このような関係を続けることで、互いを受容し、互いの成長や働きに関する戦いに参与し合うという文化が醸成されていく。ちなみに、天外内組では、一週間の間に、約30章聖書を読むことと、グループ内のメンバーの伝道対象者のために祈り合うという課題が与えられる。

 

「天外内デボーション」と「天外内組」に取り組むことで、毎朝一人で、毎週数人で、神が弟子たちに実践するようにと求めておられるシンプルで根本的な教えに、繰り返し思いを向けるようになる。聞いたことは10パーセント、見たことは15パーセント、聞いて見たことは20パーセント、話し合ったことは40 パーセント、体験したことは80パーセント、教えたことは90パーセント記憶に残るそうだ。学校型の講義やイベント型の研修では、いくら講師が参加者の関心を引くように工夫しても、参加者は聞いたことを覚えていることすらほとんどできない。「聞いて行う賢い人」(マタイ7:24参照)を育てるためには、神の心に繰り返し注意を向けるための構造を持つことにより、神に従う行為が「自然な習慣」として、生活に根づくようにする以外に道はないのである。

 

『宣教学ジャーナル』(第3号)より転載