アーティクル

紀元1世紀の教会出席

(ロバート・バンクス著、三上章訳)

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その15 テュロの涙

歌が終わるとすぐに、クレメンスが目を閉じて彼の神に祈り始めました。彼もアクラと同じように、まったく普通に話しました。あたかも彼の神が同じ部屋にいる親しい顔見知りであるかのようにです。クレメンスは神と会話をする中で、歌の中に何回も出てきたあることを繰り返しました。それは、世界が神から私たちへの贈り物だということです。奇妙な考えだと思いませんか?

 

彼はこのことについてかなり詳しく語りました。私たちが毎日使ったり、見たり、聞いたり、かいだりしているあまりにもしばしば当たり前だと思っていることが、神の手から来ているのだということについて、彼はとても詳しく語りました。クレメンスが語っている間、部屋にいる人たちの口からときおり同意を示すつぶやきがもれました。最後に、グループ全体から「ほんとうに(アーメン)!」の大声が上がりました。

 

他の人たち、すなわち男性たちだけではなく女性たちも、さらに子どもたちの一人さえもが神との会話をしたとき、同じ形式が繰り返されました。クレメンスのものと同じくらいの長さで神との会話をするものもいれば、わずか数語の会話もありました。ほとんどは、クレメンスが最初の歌から抜粋した主題を何らかの仕方で続けたものでした。

 

たとえば、ある時点で、例のユダヤ人織工が、彼の祖先たちに対する寛大さのゆえに神に感謝し、彼らを他の民族から区別する数多くのことを枚挙しました。しかしまた、いつもそれに報いることができなかったことをわびました。

 

また、とてもためらいがちな1、2行の言葉がテュロの口から出ました。その中で彼は、神がどれほど多くのことを自分のためにしてくれたかを、特に、ただ一人の息子を贈ってくれたことがついに分かったことを、彼の神に感謝しました。

 

これが終わったとき、その場にいたそれぞれの家族の長たちと、他の1、2名が、彼のところへ歩み寄り、彼の上に手を置きました。こうして、彼を自分たちの共同体の交わりの中に歓迎し、今後彼を支えることを約束しました。彼は実際これにより感激の涙にむせび、ほとんど彼らに感謝を言い表わすことができませんでした。奇妙な場面ではありましたが、私自身も少し感動したことを認めないわけにはいきません。

 

彼らがもとの席に戻ったとき、ヘルマスは、聖なる書の中に特にこの場に適切だと思われる一編の詩があると言いました。彼は、こういったことについてよく記憶していたに違いないと思います。というのは、朗唱は数分にも及んだからです。

 

「この写しがほしいですか」朗唱を終えると、彼はテュロに聞きました。

 

「あなたのために書き写してあげるのは、簡単です」テュロはうなずきましたが、私が見るところでは、彼は今しがた起こったことと、皆から受けている注目のゆえに、まだ少し圧倒されていました。

 

それからのしばしの休止の間に、プリスカは立ち上がり、ランプの火をともしました。もう外はほぼ暗くなっており、私たちはお互いに部屋の向こうにいる人がほとんど見えませんでした。

 

彼女がランプの火をともしている間、ヘルマスが、聖なるユダヤ教の書物にある話を語り出しました。ダビデという名の昔の偉大な英雄についての話でした。ヘルマスの話しぶりから見て、彼らは集会に出席するたびにその人物の生涯のいろいろな部分について聞いていたようです。彼はたしかに、分かりやすい話をするコツを心得ていたと思います。というのは、彼が話している間、子どもも大人も、ここにいるだれ一人として物音を立てる人がいなかったからです。この後、もう一つの歌が続きました。今度はアリストブーロスの提案でした。

 

その16 賜物を使うこと

それから、アクラが話し始めたとき、一同は再び静かになりました。彼が最初に語ったことは、神の霊は今だかつてないほど多くの賜物を与えたので、だれもが一つか二つの賜物を受けている、ということでした。すなわち、私たちが互いに対して語ることができる賜物もあれば、私たちがお互いのために行なうことができる賜物もあります。ある人たちは、神のことや、お互いのことや、社会でのもろもろの責任についてすぐれた理解を示します。ある人たちは、問題をもつ会員を個人的に助けたり、会員たちが調和と絆をもつグループになるよう一つに結び合わせたりします。ある人たちは、お金に困っている人たちを助けたり、病気のような体に関する必要に対応したりします。ある人たちは、言いたいことを神に伝えることができない人たちや、他の人たちから伝えられたことがあまりにも感情に響きすぎて普通の言葉に移し換えることができない人たちのために説明をしてあげます。

 

これらはすべて、独り占めや自己満足のためではなく、他の人たちと分かち合うためのもので、それらの賜物は、ここにいる一人ひとりが、そしてグループ全体が、生活のあらゆる面で成長するための共有財産だというのです。そういうわけで、一人ひとりが自分にどのような能力が与えられているかを発見すること、それらをいつどのようにして行使するかを見分けること、他の人が賜物を行使するとき、どれだけの真理が、または単なる個人の意見が含まれているかを注意深く吟味することが大事なのだということです。

 

「とりわけ」と、アクラは強調しました。

 

「私たちは、神の言葉を互いの役に立つように、そして適切な仕方で語るというすべての賜物の中で一番大事な賜物を用いることを願うべきです。また、そこに存在する一番大事な徳を、すなわち、真実の愛をもって互いの世話をすることを求めるべきです」彼は、その場にいたすべての人たちに、これを用いるようにと直接に勧めて、話を終えました。

 

「私たちの幸せはひとえに、個人であれグループであれ、この賜物を用いることにかかっています」と、彼は厳粛に言いました。

 

彼が話し終えたとき、一同はしばらく黙っていましたが、私は少しも驚きませんでした。彼は、人気のある道徳教師たちに見られる、ありきたりの修辞的美辞麗句を使わないで話していましたが、彼の言葉には打ち消しがたい力がこもっていました。彼が話したことを全部理解できたわけではありませんが、わたし自身もそれを感じました。

 

この沈黙の間、フィロロゴスの家族の末娘が母親の腕の中で眠っており、もう一人の娘がその兄弟の一人に半分眠った状態で寄りかかっていることに、私は気づきました。閉じられたカーテンのすきまから微風が入ってきて、ランプの火をゆらめかせ、その煙がのんびりと渦を巻いて空中に上りました。四方の壁には、私たちの体を映す巨大な影が、光のリズムに合わせて伸びたり縮んだりしていました。外は、昼間の終わりを告げる鐘が鳴った後、町に流れ込む激しい交通の音がだんだんと増してきました。この部屋の窓は通りにではなく内側に面しており、壁も丈夫に作られていたので、ちょうどよかったです。さもなければ、話を聞き取ることがときどき難しかったかもしれません。