アーティクル

紀元1世紀の教会出席

(ロバート・バンクス著、三上章訳)

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その7 食事の始まり

何人かが着きました。ユダヤ人の織工とその妻と魅力的な娘2人が、皆からあいさつを受けながら、他のテーブルの人たちのところに加わりました。

 

数歩後ろに自由民が2人おり、彼らは私たちのテーブルの空いている席に着きました。2人とも、この家の主があらかじめテーブルの上に置いておいた贈り物の隣に、自分たちの贈り物を置きました。その自由民の一人ガイユスは、高貴なローマ人からその子どもたちの家庭教師に雇われていました。じつは、彼はその家で生まれたのですが、最近よくあるように、忠実な仕事ぶりが認められ、後に解放されたのでした。主人の希望により、しかしまた自分自身の希望により、彼はその仕事に留まりました。

 

もう一人の自由民ヘルメスは、主人から解雇され、自活せざるをえない境遇にありました。何カ月も失業状態にあったのに生活することができたのは、ひとえに国の失業手当と、この小さなグループの援助のおかげでした。

 

アクラは彼らに私を紹介し、その状況を説明した後、立ち上がり、静粛を求めました。

 

「だいぶ時間が経ちました」アクラは続けました。

 

「実際、もう4時半になりましたから、食事にしましょう。フェリクスは今日も主人に引き留められているようで、いつ着くか分かりません。フィロロゴスさん、彼の分の食事を取っておいていただけますか。そうしないと彼はまったく食事にありつけないことになるでしょう。彼の主人がどういう人物か、皆さんご存知の通りです」フィロロゴスはうなずき、長男に食事を整えさせました。

 

私たちが食堂に入ったすぐ後、アリストブーロスの奴隷と、2人の男の子のうち下の方が、プリスカについて部屋から出て行きましたが、今、彼らは最初の食事をもって再び部屋に入って来ました。ユダヤ人織工の2人の娘たちも、台所でプリスカの手伝いをしていました。

 

食事を始める前に、アクラは、前にあるテーブルに夫人が置いておいた丸いパン──見たところパン屋で買ったものではなく手製でした──を取り、感謝を献げたいと言いました。私は、彼らの神への献げ物の一種だろうと思いました。私たちローマ人はいつも、家の神々のために食べ物と飲み物の一部を取っておき、主な料理を食べた後に、それらを献げ、受け取ってもらうのです。ユダヤ人たちのやり方は違っており、食事の始まりの合図はパンを裂くこととある種の祈りをすることだと、聞いていました。今起こったことは、むしろそのようなことでした。

 

アクラはその場の人たちに、彼らの神がパンの一部を献げるかわりに、彼らのために身代わりとして何かを献げたことを思い起こさせました。その何かとは、言わずもがな、彼らを生かすために死んだ、神の独り息子です。

 

次に、アクラが言いました。

 

「私たちのために自分自身を献げる前に、彼はちょうど私たちが今食べているような食事を、弟子たちと共に食べました。この食事の間に、彼は彼らにパンを与え、それが彼を表わすことを彼らに語りました。ちょうど彼らが体のいのちのためにパンを必要としたのと同じように、本当のいのちを体験するために彼を必要としました。私たちも彼を必要とします。私たちが会食を続けることを彼が望むのはこのためであり、私たちが今日共に集まっているのもこのためです」

 

その8 パンを裂くアクラ

死んだ人がいったいどのようにしてこういったすべてのことをしているのか、私にはさっぱり分かりませんでした。しかし、次にアクラは、この人は処刑された後、本当に生き返ったと言いました。率直に言って、私は耳を疑いましたが、確かに彼はそう言ったのでした。死んだ後、彼は父のところへ行きました。そのことにより、彼は、彼に従う人には誰にでも、どこにいようと、どれほど多くの人数であっても、彼のいのちを分け与える地位につきました。いわば、彼の一部分が彼ら一人ひとりの中に生きているのです。少なくとも私はそのように理解しました。

 

「このことの意味は」アクラは続けました。

 

「彼は体としてはこの部屋におりませんが、それにもかかわらず、じつは私たちの間にいる、ということなのです。私たちがまずこのパンをもって食事を共にするとき(彼はパンをちょうどよい大きさに裂き、客たちに与えました)、また食事をしながら互いに交わりをすることを通して、彼を直接に体験するのです」

 

アクラはこのことの全体を、もしそう呼べるならばですが、短い祈りで結びました。というのも、その祈りは、私の見るかぎりでは、即席のものであり、まったく普通の声で語られたからです。祈りの中で彼は、このことのすべてを神に感謝し、どれほどこの食事とそれに関連するすべてのことを待ち望んでいたかを、神に語りました。その後、彼は「そうです」「本当に」「アーメン」などの唱和に加わり、食事を始めました。

 

さて、率直に言って、これはまったく思ってもみないことでした。それは、慎み深い儀式でもなく異国風の秘儀でもありませんでした。すべてはとても単純で、本当に平凡でした。私は、このぞんざいでありきたりのやり方を彼らの神はどう思うだろうか、やや思いつきで神を取り扱ってはいまいかと思いました。それは、神に対してふさわしいと思われるやり方ではまったくありませんでした。

 

私たちはしばらく食事をしていましたが、アクラが先ほどのおばあさんの方に顔を向けて、聞きました。

 

「マリヤさん、暑い日が続きますが、いかがお過ごしですか。この暑さは1年のこの時期にしては珍しいです」アクラは、彼女について私に打ち明けました。

 

「彼女は最近、最北の地にある丘陵地方、つまり家族全体の郷里からローマに越して来たばかりです。50歳にもかかわらず、環境の変化にとてもよく適応していますが、何かの皮膚病にかかったため、ときどき具合が悪くなるのです」彼女は、すぐにそれと分かるその地方の方言で答えました。

 

「ずっとよくなりました。ありがとう、アクラさん。特に先週、皆さんが私のために祈ってくださったときからはね」

 

これがきっかけとなり、ある医薬軟膏の効き目があるのかどうかということと、一般に医者の助けには限界があるということが話題になりました

 

こういう話が進む間に、私たちは最初の料理を食べ始めました。それは、少しの小麦粉のおかゆで、通常、主食として食べる物です。普通よりもさまざまな薬味──きのこ、オリーブ、ハーブ──が添えてあり、はちみつの甘みで味つけされていました。

 

「この料理、とてもおいしいです」と、私はユーオディアに言いました。

 

「プリスキラの手製の料理です。彼女は、どんな材料を加えたか絶対に教えないでしょう」