アーティクル

紀元1世紀の教会出席

(ロバート・バンクス著、三上章訳)

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その3 新しい世界観

もう一つの建物は、事実上、三つのアパートに分割されていました。一つは、敷地の裏側にあるギリシャ式庭園に面しており、他の二つのうち一方は長方形で、他方はL字形をしたより大きなものですが、それらは表側にあるローマ式の正方形の広間を取り囲んでいました。L字形の方は、通りに面する部屋が店に作りかえられていました。

 

アクラとプリスカが買ったのは、このアパートでした。このような配置のゆえに商売を営むことができると同時に、心地よい一画に住むことができたからです。二つの世界の最善のものを得たと、彼らは言っています。

 

私たちがアクラとプリスカの家にやってきたとき、店の入口は閉まっており、上下する木製シャッターが入口を通行人の目からさえぎっていました。隣に小さな玄関があり、私たちは通りからそこへ入りました。数歩進むと、アパートの開いたドアのところに来ました。それには、アクラの名と職業を記した小さな看板がついていました。あたりに誰もいなかったので、クレメンスは何度か戸を叩きました。注意を引くためのドアノックもベルもありませんでした。

 

「早かっただろうか」と、彼はユーオディアに聞きました。

 

「そうは思わないわ。たぶん私たちが最初に着いただけなのでしょう」

 

ほどなく誰かが現われました。やせ気味の中肉中背の男性で、私たちの方に勢いよく走ってきました。私はあらかじめこのアクラという人物がユダヤ人だと聞いていましたが、別に気になりませんでした。

 

私たちローマ人は、そういうことには寛容な民です。私はユダヤ人の家庭で食事をしたことはありませんが、ユダヤ人たちとはけっこう仲良くやってきました。彼らはあまり外国人をもてなしません。たぶん彼らの宗教上の規則と関係があるのではないかと思います。彼らはたいてい自分たちだけで閉じこもります。国外に移住した人たちでさえそうです。昨夜クレメンスから聞いたかぎりでは、この人は多くの点で型破りのユダヤ人であり、普通のユダヤ人よりもはるかに自由なものの見方をする人のようでした。

 

「この人がそうなのは、ローマ帝国のあちこちを歩き回ったからですか」と、私はクレメンスに聞きました。

 

「そういうわけではありません」と、クレメンスは答えました。

 

「もっとも、それも少しは関係あるかもしれません。本当のところは、彼が新しい世界観を受け入れ、そういったことがらに関するものの見方に影響を受けたからなのです」

 

つまり、そういうわけだったのです。クレメンスとユーオディアは、アクラとプリスカを通してコリントでこの新しいものの見方に興味を持ち始めました。クレメンスが言うには、彼もユーオディアも、コリント滞在の終わり頃にそれを理解しはじめ、ローマへの移住を決めた後もその見方を変えなかったというのです。

 

彼らは最初、ローマへ行くことが難しいと思っていました。ローマに宗教団体の数が足りないということではありません。各団体はその神殿や寺院をもっています。また、充分な数の哲学学派がないということでもありません。そうではなく、クレメンスとユーオディアのものの見方が、どちらの部類にも当てはまらないように思われたからです。

 

ですから、2人の前途がやっと明るくなったのは、アクラとプリスカが再登場したときなのです。この夫婦はコリントやエペソでしていたように、ここでも自分たちの家で定期集会を始めました。私的な宗教団体や哲学者たちの晩餐会については聞いたことがあります。