アーティクル

ヒトデ型教会のススメ

ー現代日本教会の閉塞感を打破する試みとしてー

『福音主義神学』(第38号)より転載:宣教戦略シンクタンク「RACネットワーク」福田充男

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3:ヒトデ型組織の5つの足

ブラフマンとベックストロームは、アステカ帝国のような集権型の組織をクモに、アパッチ族のような分散型の組織をヒトデにたとえている。頭を切り落とされたら、クモは死ぬ。アステカ帝国はクモにたとえられる集権型組織だったので、ヒエラルキーのトップにいる王が殺されることで、帝国自体が急速に壊滅に向かった。ところが、ヒトデの場合は、頭がない。中央で命令を発する中枢器官がないのだ。主な器官は、それぞれの腕の部分に複製されて広がっている。

 

「ヒトデを半分に切り離すと、驚くべきことが起きる。二つに割られて死ぬどころか、ヒトデが二つになるのだ。ヒトデには信じられないような特性があり、腕を切り落とすと、ほとんどの場合、そこに新しい腕が生えてくる。リンキアという腕の長いヒトデのように、種類によっては、切り落とした腕が新しいヒトデになることもある。ヒトデにこんな魔法のような再生ができるのは、ヒトデが神経回路網、つまり細胞のネットワークでできているからだ。クモのような頭を持たないヒトデは、分権型のネットワークとして機能する。つまり、ヒトデが動こうと思ったら、腕のうちの一本が、他の腕に、「動こうよ」と説得しなければならない。一本の腕が動き始めると、まだ完全に解明されていない事態が起きて、他の腕も「協力」して動き始める。脳が「進め」「止まれ」と命令するわけではない。」#7

 

ブラフマンとベックストロームは、現代の分散型組織を例示しつつ、分権型組織が突然大成功を収めるときの条件について述べている#8。分権型組織は5本足で立つ動物のようなもので、それぞれの足がすべていっしょに動き出すことが必要だ。

 

1)サークル

1本目の足は、サークルである。アパッチ族は、小さく、ヒエラルキーのないグループをつくり、アメリカ南西部じゅうに散らばって住んでいた。独自の習慣と規範を持つ、独立した自治能力のあるグループをサークルと呼ぶ。

 

初代教会の場合は、迫害を避けて、家で隠れて集まっていた無数のグループがサークルに相当する。サークルは個人の家で集まることのできる人数、つまりほぼ20人以下に限定されていたと思われる#9。パウロはコリントの諸教会に対して、「あなたがたが集まるときには、それぞれの人が賛美したり、教えたり、黙示を話したり、異言を話したり、解き明かしたりします。そのすべてのことを、徳を高めるためにしなさい。」(1コリント14:26)と勧めている。彼らは互いに教え、戒め、罪を告白し、励まし、祈り、生活の中で助け合う「フラットでインタラクティブな共同体」だった。彼らの規範は、キリストが愛されたように互いに愛しあうことだった。また、ヨハネが、「あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。」(1ヨハネ2:27)と述べているように、各教会はキリストと直接的に結びつく自治集団だった。

 

2)触媒

ブラフマンとベックストロームが述べる2本目の足は、触媒である。触媒はサークルを創設し、そのあとは身を引いて、表舞台から消えてしまう人物だ。アパッチ族で言うとナンタンのことである。ナンタンは自分が模範を示すことでアパッチ族を率いたが、考えをほかの者に押し付けることはなかった。触媒はアイデアを発展させ、他の人たちとそれを共有し、やる気を起こさせ、模範を示すことでサークルを導き、仕事を終えたら、集団の構造が集権的になる前に、権限を委譲して去って行く。

 

初代教会における触媒は使徒と預言者である。教会開拓者と言い換えてもよい。パウロは現代のように交通が便利ではなかった時代に、何とかローマに行こうとした。しかし、彼にとってローマが終着点ではなく、そこを通ってイスパニアに向かうことが旅の目的だった。彼がもしイスパニアまで到達できたなら、もっと遠くに行こうとしたに違いない。使徒の働きの中には、さらに先に遣わされていくために、「現在の働きの場を去る」ということが含まれていた。

 

パウロがエペソの長老たちを集めてした告別説教には、彼の触媒としての考え方が現われている(使徒20:17〜38)。パウロが去った後、群れを荒らす凶暴な狼が入り込んでくるだけでなく、リーダーたちの間からも邪説を唱えて自分たちの陣営に人々を引っ張り込もうとする者が出てくることが予想された。その予防策として彼が話したことは、信条の確定や神学校の創設ではなかった。彼の勧めは、第1に、パウロ自身の生き様、そしてその象徴である涙を思い出すこと。第2に、神と恵みの言葉に直接結びつくことだった。使徒は支配しようとせずに、生き様を見せることによって模範を示した。また、神が御言葉を通して人々を直接守り育てられるという恵みの働きに信頼を寄せたのである。支配して留まり続ける集権型組織のリーダーのあり方とは違い、使徒はリーダーとしての責任をサークルにゆずり渡して、次の任地に向かって行った。

 

3)イデオロギー(行動の規範となる信念)

分権型の組織をまとめる接着剤の役割を果たすのは「イデオロギー」である。アパッチ族はみな、古来の土地は自分たちのものであり、そこで自治権を持つべきだという信念を持っていた。彼らはこの自主独立の信念のために戦い、自らを犠牲にする覚悟だった。

 

初代教会のイデオロギーは何かという質問には、多様な答えが想定される。しかし、教会が分散型組織だという視点からまとめるなら、「行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」(マタイ28:19)という大宣教命令に要約できる。人はしばしば自己保全のために集まろうとするが、神は人間が地に満ちて、神の支配が行き渡るために(創世記1:28)、人々を「地の全面に散らされた。」(創世記11:8)神のビジョンは、「水が海をおおうように、地は、主の栄光を知ることで満たされる」(ハバクク2:14)ことだ。イエスの弟子たちは、聖霊の力を受けて、「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたし<キリスト>の証人とな」(使徒1:8)るという使命を帯びていた。御国の福音が、「全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ」(マタイ24:14)る前に、終わりの日が来ることはない。

 

このように分散して派遣され、弟子が増殖して、地に神の支配が証しされるための動機付けは、イエスの「スプランクニゾマイ(σπλαγχνιζομαι)」である。「心の底から溢れてくる深いあわれみ」を表現する言葉だ。放蕩息子に走り寄る父の心情(ルカ15:20)、強盗に襲われた人を助けたサマリヤ人の気持ち(ルカ10:33)、多額の借金を棒引きにした王の心(マタイ18:27)、病人をあわれむイエスの思い(マタイ 14:14)を表現するために用いられた言葉である。イエスは十二使徒を派遣なさる前に「群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。」(マタイ9:36)人々に対するイエスのあわれみに共振して、弟子たちは真の羊飼いを紹介するために、危険を顧みず2人組で出かけて行ったのである。初代教会のイデオロギーは、神のあわれみに動機付けられて派遣され、神の支配に身をかがめる人たちを地に満たすことだった、と言えよう。

 

4)既存のネットワーク

ブラフマンとベックストロームは、分権型組織が急速に拡大するための4本目の足は、既存のネットワークが用いられることだと指摘している。しかし、彼らはアパッチ族の例を挙げていない。アパッチ族は勢力を拡大しようとしたのではなく、自主独立を守るために、後から侵入してきた外敵に対して抵抗した例だからである。その代わり、著者たちは、奴隷解放運動がクエーカーのネットワークの土台の上に展開したことや、アルコホリックス・アノニマスがオックスフォードグループを基礎にしたこと、さらには、スカイプ、イーミュール、クレイグズリストなどが、インターネット上に誕生したことを紹介している。

 

初代教会の急成長のために貢献した既存のネットワークは、近親一般を含む拡大家族だった。ルカの福音書10章の弟子たちの派遣の記事では、弟子たちが入った家に平安の子がいるかどうかが町の救いに直結すると説かれている。平安の子は、福音に対して心を開いている家長だったと思われる。イスラエルでは、エルサレムの神殿で礼拝するのは年に3度の大祭のときだけで、庶民の日常的な宗教生活は、各家の長のリーダーシップによって支えられていた。悪霊から解放されたゲラサの狂人に、「家に帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを、話して聞かせなさい。」(ルカ8章39節)とイエスが命じられたのは、元狂人と彼の証言を聞いた家のメンバーを通して、デカポリス地方に福音がもたらされるためであった。

 

もう1つの既存ネットワークは、離散ユダヤ人のネットワークだった。聖霊がくだった五旬節の日に、弟子たちが他国のことばで話し出したとき、集まってきたエルサレムの住人たちは、驚いて言った。「私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは」(使徒2:9−11)。パレスチナ以外の中近東各地に居住した離散ユダヤ人は、当時400万人いたと言われている。この日洗礼を受け、「家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美」(使徒2章 46、47節)する生活を始めたヘレニストたちが、ステパノの迫害の後、ローマ帝国やバルティア王国に散在するユダヤ人居住地を辿って世界宣教を遂行したのである。

 

5)推進者

推進者は、触媒が構想したことを、実践的に推し進める人のことだ。ここでも拡大の契機のないアパッチ族は取り上げられていない。ブラフマンとベックストロームは、奴隷解放運動において、「触媒」、つまりまとめ役・つなげ役として機能した創始者のグランビル・シャープが、セールスマン的気質を持つ「推進者」のトーマス・クラークソンと、チームでリーダーシップを発揮したことを描いている。

 

初代教会の推進者は、「聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げる」(エペソ4章12節)ために備えられた「キリストのからだ」の5つの機能と考えられる。先に、使徒と預言者が「触媒」だと論じたが、それらに、伝道者、牧師、教師の3つが加わる。伝道者、牧師、教師が「推進者」だというのではなく、使徒と預言者を含むチームが、ある特定の領域において、キリストの働きを推進するための動力となると考えられる。触媒もまた推進者の一部だという意味では、ブラフマンとベックストロームのモデルよりも有機的だと思われる。

 

使徒は新しい領域に最初に遣わされていって、ムーブメントの土台となる構想や価値観や戦略を提言する。預言者は、多くの場合使徒と同行し、使徒が示した地図の通りに教会が進んでいくための「カーナビ」のような働きをする。預言者を通して、神がご自身の心にある様々な情報を開示される。伝道者は、教会をいつも外向きにし、失われた人々が神に立ち返るように働く。牧師は、1人ひとりが神との正しい関係を保つことができるように、また互いに助け合う交わりの中で成長することができるように人々を結びつける。教師は、教会が真理に立ち続けることができるように、規範である聖書から解き明かす。

 

これらの5つの働きは、「使徒と称する人物」がいると考えるよりも、「使徒という機能」が多様なかたちで教会開拓プロジェクトにおいて発揮される、と考えた方が現実に即している#10。もちろん、常時使徒的な機能を担う人が存在する場合もあるが、教会開拓のプロセスの中で、時に応じ、状況に応じて、それらの機能が多様な形で備えられるのである。たとえば、使徒ヨハネは、派遣されているときには使徒であるが、ローカルチャーチに留まるようになると、自分を長老と呼んでいる。5つの働きを、特定の人物と結びつけて固定的に理解することで、自由な聖霊の導きに柔軟に対応できなくなる場合がある。