アーティクル

ヒトデ型教会のススメ

ー現代日本教会の閉塞感を打破する試みとしてー

『福音主義神学』(第38号)より転載:宣教戦略シンクタンク「RACネットワーク」福田充男

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2002年7月に、当時の日本基督教団副議長の山北宣久氏が、ある研修会で次のように述べた。「日本基督教団は現在、約200の無牧教会を持ち、このまま伝道しない状況が続くと10年後には500の教会が無牧となる。」また、「現在教団では60歳以上の信徒が全信徒の50パーセントを超え、教区によっては 70%を越えている。」とも語った#1。クリスチャン新聞2007年10月7日号の統計を見ると、福音派でも程度の差こそあれ、高齢化・少子化・個人主義化などの社会的要因、さらには宣教の停滞・活力の低下・内向き・形式化などの内的要因により、諸教会が閉塞感を深めていることがわかる#2

 

閉塞感の原因を、祈りの不足、信仰による積極思考の欠落、聖書の学びの不徹底などの、いわば「霊的」要因に帰する考え方がある一方、教会観の軽視が問題だとして、組織論として論じる人たちもいる。どちらももっともな根拠があると思われるが、本稿では、オリ・ブラフマンとロッド・A・ベックストローム著『ヒトデはクモよりなぜ強い:21世紀はリーダーなき組織が勝つ』#3の分散型組織論を援用して、後者の組織論の視点で、ステパノの迫害以降の初代教会を分析し、そこから、現代日本教会の閉塞感を克服するための糸口を模索する。

 

世俗の経営組織論を援用するときには、その理論の前提となっている非聖書的な価値観や仮定に対して、批判的に検証する必要がある。さもないと、教会成長論の否定的影響の轍を踏むことになりかねない#4。しかし、その検証は、別の機会に取り組むことにする。本論の目的は、現代日本の教会を分析するための1つの包括的な視点を提供することである。まず、しっかりした構造や指導者、形式的な機構を欠く分散型組織が、集権型組織に比して、いかに柔軟性とパワーを持つかを、スペイン軍の侵略に対するアパッチ族の抵抗の様子から解説し、それが初代教会の爆発的な福音伝搬の要因と通底していることを示す。その上で、集権型教会論から分散型教会観へのパラダイム転換が、日本宣教の新たな地平を拓く可能性について論じる。

 

1:スペイン軍とアパッチ族

『ヒトデはクモよりなぜ強い:21世紀はリーダーなき組織が勝つ』では、1521年に、スペイン軍を率いた探検家、エルナン・コルテスが、キリストの誕生よりも何世紀も前にその文明の起源を持つアステカ帝国を、2年で崩壊させたことが描写されている。当時のアステカの首都には、立派な街道が繋がり、複雑に入り組んだ送水路が設置され、壮大な寺院やピラミッドが建立されていた。1500万の住民と独自の言語、先進的な暦と中央集権制を持つ文明が繁栄していた。しかし、コルテスの策謀と兵糧攻めにより、王は殺され、首都に住む24万の住民が80日で飢え死にし、2年以内にアステカ帝国は完全に崩壊した。

 

南米大陸を手中に収め、誰にも止められない勢力となっていたスペイン軍を破ったのは、一見原始的な部族と思われるアパッチ族だった。スペイン人は彼らに農耕を教え、カトリック教徒の農民に仕立て上げようとした。しかし、大多数のアパッチ族は抵抗し、スペイン人の財産と見ればなんでも強奪し、大々的な反撃に出た。17世紀の終わりまでに、彼らはスペイン軍の支配権を奪い、メキシコ北部を掌握し、その後2世紀にわたって、スペイン軍を撃退し続けた。

 

その秘密は、政治権力を分散して、なるべく中央集権を避けていたからだ。彼らにはヒエラルキーも、意思決定の物理的な場所もなく、誰もが自分自身で意思決定するという社会を構成していた。たとえば、ある場所で誰かがスペイン人入植地への襲撃を思いつくと、別の場所で計画が立てられ、そしてまた別の土地で実行に移される。アパッチ族がどこから現われるか、誰にもわからない。 重要な決定が下される決まった場所がない。別の言い方をすれば、誰もが、あらゆる場所で、それぞれ重要な決断を下していたのである。

 

アパッチ族には、他の部族のような首長はなく、ナンタンと呼ばれる精神的・文化的指導者がいた。ナンタンは行動で規範を示すだけで、他者に何かを強制する権限は持たなかった。「史上最も有名なナンタンの1人が、アメリカ人を相手に何十年も部族を守ったジェロニモだった。ジェロニモは軍隊の指揮をとったわけではないが、彼が1人で戦い始めると、周囲の者もついていった。『ジェロニモが武器を手にとって戦うのなら、たぶん、そうするのがいいんだろう。ジェロニモは今まで間違ったことがないから、今度も、彼と一緒に戦うのがいいだろう』というわけだ。ジェロニモについて行きたければ行けばいい。行きたくなければ、行かなくていい。1人ひとりに権限があるので、それぞれがやりたいようにする。『するべきだ』という言葉はアパッチ族の原語に存在しない。『強制する』という概念は、彼らには理解しがたいものだ。」#5

 

スペイン軍は、アステカの王、モンテスマ2世にしたように、アパッチ族のナンタンたちを排除しようとした。ところが、アパッチ族には社会全体を守る唯一無二の人物は存在しない。ナンタンをひとり殺すと、また別のナンタンが登場した。そればかりか、アパッチ族は攻撃されてますます強くなった。攻撃されるごとに、アパッチ族はさらに細かく権限を分散し、さらに征服しにくい組織に変化した。スペイン軍が村を破壊したら、アパッチ族は古い家屋を捨てて遊牧生活を始めた。こうして、アパッチ族はさらに開かれた状態になり、さらに捕まえにくいものとなった。