リーダー育成

携帯メールの牧会書簡

宣教戦略シンクタンク「RACネットワーク」福田充男

ページ8

 

8 聖くなること・罪との戦い(その2)

罪の伝統的なイメージは、外部に付着する汚れのようなものなので、おはらいを受けたりみぞぎをしたりすると取り除かれるものと考えられています。 だから、信じてすぐの人に、聖書では何を罪だと教えているのか、神を悲しませることが何なのかを理解させて、戦う対象を認識させることが重要です。

 

また、自分に与えられた時間や賜物を、御心に従って管理するようにと励ますことにより、あますところなく主に仕える生活の充実感を、信仰生活をスタートする時点から味わってもらうことが可能になります。

 

偶像礼拝

私が天才的な画家だと仮定してください。30年前に私が描いた絵が、作者不明とみなされ、収集家や美術館関係者の間で議論が沸騰しているとします。 ある人は、これは××画伯のタッチだと言い、他の人はこの色使いは外国のだれそれの作だと主張します。しかし、私がそれを見たら「ここに私のイニシャルがあるでしょ。これは私の作品です」と言うでしょう。

 

イエス様の父なる神様は、聖書の初めに「世界は私の作品だ」と宣言しておられます。なぜでしょう。それが事実だからです。私たちは被造世界の中に神のイニシャル、つまり創造の神秘を見つけ出すことができます。

 

だから、目があっても見えず、口があっても話せない仏や神々の彫像を拝んではいけません。それは浮気と同じです。彼らは幸いをくだすことも災いをくだすこともできません。

 

神々を金で買収したり、苦行や儀式や物断ちによって彼らと取り引きしないで、私たちが願う以上のものを与えようとして備えてくださる真実な創造主だけに祈りましょう。 占いやお札、超能力やヒーリングは、天の父とイエス様の愛から私たちを引き離そうとする悪霊のだまし事です。

 

大空を見て「あれは私の父のものです」と言えるのは、何という特権でしょう。創造主だけがほむべきお方です。

 

高慢と悪意

そもそも人間が罪を犯すようになったのは、「神のようになりたい」(創世記3:5)と思って高慢になったからです。イエス様は私たちを友と呼んでくださいますが、創造主と被造物の境界線は厳然としてあります。 天の父とイエス様を礼拝し、その言葉に従うことが私たちの本分であり、私たちのすべてです。

 

しかし、私たちはときどき身の程知らずなことを思ったり行なったりしてしまいます。人と比べて「自分の方がましだ」と思うことは愚かなことです。 真昼の光の中で40ワットと60ワットの電球を並べ、明るさを比べているようなものです。

 

イエス様はあるとき「あなたがたのうちのだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。こんな小さなことさえできないで、なぜほかのことまで心配するのですか」(ルカ12章26−27節)とおっしゃいました。 イエス様は世界を保ち歴史を治めておられるお方です。私たちの生命は彼の手の中に握られています。

 

神を敬い、神のかたちに造られた隣人に仕えましょう。裁いたり支配しようとしたりしてはいけません。高ぶる目とおごる心は罪です。イエス様のように柔和で謙遜なものにならせていただきたいね。

 

ルールがセルの命を絶つ

「援助交際したからってだれにも迷惑かけてないじゃない」、「セックスは愛の証」、「できちゃった結婚はトレンド」等という意見に、敏君はどう答えますか。

 

聖書では、直接的な性行為だけでなく、情欲を抱いて異性を見ること自体が罪だと断じています。「なんて不寛容な教えだろう」と思うでしょうか。 神様は私たちの幸福のために、性的能力を管理するように命じておられるのです。不道徳な行為はかけがえのない人間関係を破壊し、人生を破滅に導きます。 また、感染症や望まない妊娠などの重大な結果をもたらす危険があります。

 

性そのものは神が創造された尊いもので、神によって1つとされた夫婦の愛の表現です。 この結婚の枠組みの外で、思いにおいても、言葉においても、行為においても、性的衝動に自分自身を委ねることは、神の道からはずれることです。

 

雑誌や映像を通して異性を見たり、見ないまでも想像したりすることにより、私たちは性的な刺激を受けます。誘惑がくるのは避けられませんが、それらの性的刺激に注意を向けて、それを自分の内に取り込んで楽しんではいけません。 誘惑を警戒し、環境を改善し、誘いを水際で阻止し、自分を制御して、悪霊に立ち向かってください。

 

管理すること

20代前半に会社勤めをしていたときには、不遜にももっと大きな意味のある仕事をしたいと思っていました。ところが、神様は「私が与えた仕事にいい加減に取り組むな」と戒めてくださいました。 心を入れ替えて真剣に仕事をするようになると、仕事を通して神様の力やご配慮を経験するようになりました。

 

神様が置いてくださった場所で、神と人に仕えるために、与えられた能力や賜物を精一杯用いて生きることが大切です。 バッハは作曲した楽譜に「神の栄光のために」と記したそうです。問題は仕事の大小でも自分の興味でもなく、神にゆだねられたものを忠実に管理するかどうかという点です。

 

能力や賜物を自分勝手に用いてはいけません。また、神様の優先順位に従って時間を過ごしているか、という視点が必要です。それはお金の使い方にもあてはまります。

 

健康には気をつけていますか。身体は神の偉大さを表現する器です。食事、睡眠、有酸素運動、歯磨きなど、心がける点は数多くあります。性的能力については前項で述べました。

 

人間関係については「仕えること」や「証しすること」の項目ですでに学びました。

 

怠惰にならず、神様のご誠実に感謝し、心を尽くし力の限り応答しましょう。