リーダー育成

携帯メールの牧会書簡

宣教戦略シンクタンク「RACネットワーク」福田充男

ページ7

 

7 聖くなること・罪との戦い(その1)

偉大な芸術家が、ノミを振るう前に、大理石の塊の中にすでに作品を見て取るように、天の父は私たちの人生をご覧になって、完成された傑作品を見てくださいます。 その父の視点をいただき、彫刻してくださる父に自分を喜んで明け渡し、栄光から栄光へとキリストと同じ姿に変えてくださる聖霊の働きにあずかることは、クリスチャン・ライフの醍醐味ではないでしょうか。 ここでは、聖くしてくださる父の御思いをどう受け止めるか、ということについて学びます。

 

天の父と深く結びつく

親との間に深い信頼関係を結ぶことができなかった人は、健全な自尊心を持つことが難しく、他者と比較して不安定になったり自分を責めたりしがちです。 また、「自分はだれか」というアイデンティティーもあやふやなまま大人になってしまうので、安心して帰属できる場所を探し続けます。

 

一方、親の愛を受け止めて育った人は、新しい人間関係の中で、比較的容易に自分の居場所を見つけることができるし、他者を思いやる心の余裕もできやすいのです。

 

ところが実際は、親との関係の中で受けた傷を抱えて生きている人がほとんどです。無条件に自分を受け入れ、尊厳とアイデンティティーを与えてくれる親は、天のお父様だけだからです。

 

敏君は父との関係の中で、父のいとし子としての揺るがない立場を得ています。 敏君が良い子であるか悪い子であるかという基準ではなく、イエス様が十字架に死なれたという不変の事実のゆえに、父は敏君をいつもやさしい心で受け入れてくださるのです。

 

この父とのつながりを深めることが、罪と戦うための基礎となります。 なぜなら、父の無限の愛を知った人は、それに応えて生きようと思うからです。父のように正しく聖く生きようと思うのです。

 

父の愛を受け取る

天の父の愛を受け取る方法をいくつか紹介しましょう。1つは、父がイエス様を私たちの罪の身代わりとして十字架に死なせられたという出来事を思い出すことです。 毎日時間を決めて、たとえ数分でも主イエス様の犠牲を思い描くことは、クリスチャン生活の基本です。

 

また、聖餐式に参加することで、仲間と一緒にイエス様の犠牲を振り返り、そこに表わされた父の愛を経験することができます。

 

聖餐式に限らず、敏君のことを親身に考えてくれているクリスチャンの交わりに定期的に出ることにより、その交わりに注がれる父の愛に触れることができます。

 

敏君が他の人を愛して仕えたり証ししたりするときにも、敏君の中に父の愛が貫かれていくことを経験すると思います。

 

聖書に親しむことも大切です。聖書は、敏君に宛てた父からのラブレターです。熱心に聖書を読みましょう。そして、グッとくる言葉があったら覚えておくといいなあ。

 

私は神様を信じてすぐの頃、いくつかの言葉を暗誦し、それを父からの言葉として受け取っていました。エレミヤ31章3節なんかは今でも大好きです。

 

父の愛を受け取り続けることにより、罪に対する抵抗力が育っていきます。

 

もしイエス様だったら

母親から小さな絵本の店を受け継いだ若い女性が、近くに進出してきた大手書籍チェーンに客を奪われて窮地に立たされます。途方に暮れた主人公は、亡き母のことを思い出し、「ママならどうするだろうか」とつぶやくように言います。 これは映画『ユー・ガット・メール』の1コマです。

 

敏君は決断に迷ったときに「イエス様ならどうなさるだろうか」と考えたことはありますか。このように考える癖をつけていくと、イエス様の価値観や戒めを自分の生活に当てはめて生きることができるようになります。

 

たとえば、イエス様ならぶつぶつ文句を言わないで、天の父にお任せしてニコニコされるだろうなあ、と思ってみてください。イエス様ならもっとやさしく受け答えなさるだろうなあ、という風に考えるのです。 罪との戦いにおいても、イエス様なら断固として誘惑を退けられるだろうなと思ってみて、聖書に記されているイエス様の生き方を目標にしてください。

 

天の父は、「イエス様のように思い、イエス様のように行動したい」と願う敏君を喜んで助けてくださいます。 そして、イエス様がそうだったように、敏君の存在を通してご自身の偉大さを表わしてくださるのです。

 

気持ちいいでしょ

私の友人が「すっきりしたね。気持ちいいね」と話しかけながら、赤ちゃんのおむつを交換していました。彼女はそのときに、おむつの交換が罪の告白と似ていると思ったそうです。

 

1日の間に人の心に浮かぶ思いが2000あるとして、そのうちの何パーセントが神の思いと同じか、と考えると、たった1日のなかでさえ、「天のお父様、ごめんなさい」と言わなければならないことがたくさんあります。 告白することは恥ずかしいことですが、父はその告白を待ってくださって、私たちの罪を清め、「気持ちいいでしょ」と語りかけてくださるのです。

 

自分の罪の深さを自覚することは、罪を覆ってくださる恵みの大きさを知るためのステップとなります。 しかし、罪にばかり目を向けすぎることも罠となる場合があります。おむつを換えてくれた人に赤ちゃんが笑いかけるように、神の愛に満ちたケアに感謝し、父に嬉しい笑顔をお見せしましょう。

 

また、子育てをする親が、成長した我が子の姿を夢見るように、私たちも神の作品として完成された自分の姿を見させていただきましょう。 もし私たちが成長の過程を喜んで助けてくださる父の心に感謝し続けるなら、イエス様の似姿に変えられていきます。