リーダー育成

携帯メールの牧会書簡

宣教戦略シンクタンク「RACネットワーク」福田充男

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4 イエス様を証しする(その3)

畑は色づいて刈り入れを待っています。しかし、鎌を持ったことのない人には、その使い方を教えなければなりません。救われてすぐに伝道を始めない人の問題は、多くの場合、「びびってしまう」ところにあります。 人の目を気にする人もいるでしょうし、新しいことに挑戦するのが苦手な人もいるでしょう。 そういう人たちには、励ましとビジョンと練習と「失敗しても責められない環境」と「ネバー・ギブアップ」の精神が必要です。

 

時が良くても悪くても

業績悪化のために統廃合したある銀行の支店が再出発するにあたり、新しい支店長が職員に向かって「座して死すより当たって砕けろ」と檄を飛ばしたそうな。これなら、座っていても当たってみても良い結果が出そうにないので、座っている方がましなような感じがします。 日本には、このような「特攻隊メンタリティー」が残っているようです。

 

伝道の場合も、一次的な感情の高揚により、主に聞かないで「手当たり次第に」福音を語るなら、当たりはしてもその後砕け散ってしまう、という結果になりかねません。 だから、「イエス様、いつだれにどう証しすればいいでしょう」と聞くことが大切です。何人かの人のために定期的に祈り、向こうから聞いてきたら、祈りの答えと信じて証しする、というのも1つの手です。

 

しかし、もう1つの危険があります。それは「びびってしまう」ことです。私の提案は、失敗を恐れないで、もちろん主に聞きながら、時が良くても悪くても語り続けることです。教室で泳ぎ方を覚えても、すぐに北島康介のようには泳げません。 まず水の中でバタバタやってみることが必要でしょ。初めからうまく泳ごうとしないで場数を踏むことです。

 

「事件は会議室ではなく現場で」起こってるんだよな。

 

福音を恥とせず

では、なぜイエス様のことを話そうとすると「びびって」しまうのでしょうか。それは、友だちや家族が「変な奴だ」と思うかもしれない、という恐れがあるからでしょう。 確かに、クリスチャンが少なく、横並び意識の強い日本では、私たちは変わり者と見られるかもしれません。

 

しかし中国では、投獄される危険をおかしてでも、人々はいのちがけでイエス様を伝えています。その結果、毎日3万人もの人々がイエス様を信じて教会に加わっています。 「全世界に出て行て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝なさい」(マルコ16章35節)という神の命令に喜んで従っているのです。

 

問題は、イエス様を愛してそのご命令に従うかどうかです。私たちの主は全裸で十字架につかれました。キリストの弟子である私たちは、隣人の永遠のいのちがかかっているときに、「いい格好」をしているときでしょうか。

 

もちろん中国でも、良い人間関係という基礎の上に証がなされます。相手を愛する最高の表現として福音が伝えられているのです。福音を恥とせず、隣人を愛して、神の導きを受け取りながら福音を伝えていきましょう。 きっと日本でも、毎日何万人という人々が天の父のふところに帰るという感動的な出来事が起こると信じています。

 

耳の伝道

第1ペテロ3章15−16節には、「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。 ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。」と記されています。敏君は、用意がきているかなあ。できてないと思ったら、今からでも用意に取りかかりましょう。これは「命令」ですから。

 

さて、一方、伝道は口ではなく耳でする、ということも真理です。私が営業マンをしていたときには、「商品を売るより先に自分を売れ」と言われたものです。 敏君自身が信用されなければ、敏君の言葉も信用されません。だから、相手の話をよく聞いて、相手に対して愛を示す必要があります。

 

聞くことは愛することです。相手の感情に同意しながら話を聞きます。多くの人は自分の話をしたいのですが、親身になって聞いてくれる人と出会いません。 もし敏君が、友人や家族の心の叫びに耳を傾け、彼らを裁かないで、「喜ぶ者とともに喜び、泣く者とともに泣く」なら、彼らは「敏君は、ほかの友だちと違うなあ。一緒にいると安心するなあ」と思うでしょう。

 

敏君の中に息づく「キリストの愛」に友だちが気づいた後に語られる証言は、パワフルなものとなります。

 

習うよりも慣れろ

ドイツ人の友人でジムソンという名の大柄のおじさんがいます。彼の母国語はドイツ語ですが、英語もかなり達者です。マシンガンのように話します。 ところが、意外なことに学生時代は、英語の成績がからっきし駄目だったようです。細かく間違いを指摘する教育法に合わなくて落ちこぼれていたそうです。

 

その後、彼はイギリスに滞在することになりますが、そのときに英語がめきめき上達したそうです。バスの運転手と友だちになり、運転席の横に陣取って、一日中運転手と会話をしたそうです。 運転手はジムソンさんの英語の文法が間違っていようと、用法が変だろうと、まったくお構いなしに話してくれたそうです。

 

もし彼が、失敗を許してくれる「バスの学校」に行かなかったなら、英語の世界で自由に講演したり執筆したりする現在のジムソンさんはなかったでしょう。

 

イエス様を証しすることも同じです。導かれているなあと思ったら、失敗を恐れないで大胆に証ししてください。「習うよりも慣れろ」です。失敗からしか学ぶことができないことって、結構多いんだよなあ。 天でも地でも一切の権威を持っておられる方が一緒に行かれるんだから、技術が拙くても何とかなるでしょう。