リーダー育成

携帯メールの牧会書簡

宣教戦略シンクタンク「RACネットワーク」福田充男

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2 イエス様を証しする(その1)

洗礼を受けたばかりの人は弱くて未熟なので、まずは学びと保護が必要であって、「イエス様を証しする」なんてことは、もっと勉強してからのことだと思われますか。 しかし、見方を変えると、信じてすぐの人は、未信者との交友関係が豊かなので、その人脈を通して福音を伝えるための環境が整っています。それに、人が救われるのは、「神の領域」の出来事です。 成熟したクリスチャンが必ずしも多くの人を救いに導くというわけではありません。 たとえスキルや知識が乏しくても、イエス様を信じた喜びを生き生きと語る新しいクリスチャンが、大きく用いられることが多いのです。

 

イエス様のあわれみ

この間、大学生の長男と2人で釜ヶ埼に行って伝道のお手伝いをしました。西成の三角公園に多くの労働者の方々が集っていました。 約600人の方々に向かって、イエス様の救いを証しする機会が与えられましたが、そのときに、私の心を捕らえた2つの言葉がありました。

 

1つは「あわれみ」であり、もう1つは「いやし」です。マタイによる福音書9章36節には「イエスは群衆をご覧になると、羊飼いのいない羊の群れのように疲れきって倒れているように見えたので、彼らのため、あわれみの心を動かされた」と記されています。

 

イエス様が、この人たちを愛していること、そして病気も心の傷もいやしたいと思っておられることを何とかしてお伝えしたいと思いました。しかし、よく考えてみると、愛を必要としている人は、西成に行かずとも、私たちのまわりに溢れています。

 

「自分はだれからも必要とされていない」と思っている人が、敏君のまわりにいますか。今日食べるものがない、という人はいなくても、愛を求めている人はいるはずです。 イエス様はその人たちをあわれみ、いやしたいと願っておられないでしょうか。まず、イエス様の目で隣人を見ることが、証し人としての歩みの第1歩です。

 

「SOS」が聞こえますか

いろんな形の穴があいたボックスに、その穴と同じ形の積み木を入れるという、教育用のおもちゃを見たことがありますか。あいている穴とぴったり同じ形の積み木でないと、その穴を通過しません。

 

パスカルという哲学者は、すべての人の心にも穴があいていると言いました。多くの人はその空虚を、快楽や達成感や人間関係で埋めようとして人生を浪費します。 しかし、その穴は神の形をしているので、神のみがその子、イエス・キリストを通して埋めることができます。

 

伝道者の書3章11節に、「神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた」と記されています。有限の人間は皆、永遠を求めて「SOS」を発信しています。敏君がイエス様のことを話してくれた友人にあったときに気づいた心の叫びは、この深い求めに由来しています。 神様は敏君の人生を摂理的に導き、正しい求めを持つことができるようにしてくださったのだと思います。

 

神様はその「SOS」に、イエス様を信じる者たちの証言によって答えようとしておられます。語ることがなければ聞くこともありません。敏君の周囲にも、敏君の口から出る言葉を通して、永遠の行き先を変える人がいるはずです。ほら、「SOS」が聞こえませんか。

 

生命の流れの中で生きる

一昨年の夏、イスラエルの死海を訪れました。湖水の濃度が33%もある、文字通り生き物が住むことができない「死の湖」でした。 一方、イスラエルにはガリラヤ湖という別の湖があります。私は近くの山から見ただけですが、そこにはたくさんの魚が住んでいるそうです。

 

この2つの湖は、しばしば人間の霊的な状態のたとえとして引きあいに出されます。 ガリラヤ湖が生きているのは、ヘルモン山から流れてきた水をヨルダン川に流しているからで、死海が死んでいるのは、ヨルダン川から受けた水をどこにも流さないからだと説明されます。

 

死海のように受けるだけで与えないなら、神様との生き生きとした交わりを失っていきます。しかし、ガリラヤ湖のように惜しみなく与えるなら、自分が生きるだけでなく多くの人々を生かすことができます。

 

神様は敏君にご自身の愛を丁寧に証ししてくださる方です。毎日、毎瞬間、敏君に語りかけてくださる神様の愛の言葉を受け止めることにより、君は養われ、成長していきます。 しかし、そこで自己充足してしまわないで、助けを必要としている人々に神の証を分け与えましょう。そのことにより、君は神の恵みを流す「管」として用いられます。 そして、生命の流れの中で生きることができるのです。

 

神が見ておられる夢

1995年に韓国のソウルで開かれた「GCOWE’95」と称する世界宣教会議には、世界中から約4000人の指導者が集まりました。人種も民族も言語も習慣も違う人々が、心を1つにして賛美歌を歌いながら踊りました。 私は天国はこんなところだろうなあ、と思いました。

 

神の御子のイエス様がこの地に来られたのは、地上に「天国、つまり神の支配される領域」をもたらすためでした。信じて罪赦された私たちは、日常生活の中で、イエス様が与えてくださる平和、聖さ、力、愛、喜びを味わうことができます。 そして、それを1人じゃなく、神の家族の中で一緒に経験することができるのです。

 

今はまだ、君のアルバイト先のコンビニでクリスチャンに会うのはめずらしいことだと思います。けれども、想像してみてください。お客さんの3人に1人が顔見知りのクリスチャンだったらどうでしょう。 奥の方で飲料水を選んでいる人が、敏君のよく知っている賛美の歌を口ずさむというようなことが日常茶飯事となったら楽しいでしょうね。

 

神様は、そうなることを夢見ておられます。そして、敏君や僕に「全世界に出ていってすべての造られた者に福音を伝えなさい」と「命令」しておられるのです。もし従うなら、私たちの遣わされていく場所が天国へと変えられていきます。