リーダー育成

教会増殖とリーダー育成(大橋秀夫氏との対談)

宣教戦略シンクタンク「RACネットワーク」福田充男

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特別対談:教会を生み出す教会

    大橋
  1. 伝道を難しくしてしまっているものもあると思う。牧師と信徒のヒエラルキー、とまでは言わないけど、縦の関係、なんらかの壁があって、伝道は「牧師が講壇の上からするもの」「特別伝道集会で伝道者を呼んできて語らせるもの」で、信徒はそこに家族や友人を連れていけば伝道の役割を果たしたことになると考える。そうして伝道者と信徒、というように働きが専門化して、キリスト教の一部のエリートが伝道者・牧師であるという位置づけができてしまっているわけ。

  2. 私は高校生のときhi‐b.a.で救われたけど、自分が救いを確信する前から伝道していた(笑)。そういうなかで訓練されて育ってきたから、伝道するのは楽しいことだし、誰かに強制されてしたわけではないし、伝道のために特別な勉強をしたわけではない。ただ救いの喜びのワクワク感があって、黙っていられない。それがいつのまにか現代の教会では伝道が専門化してしまっている。信徒たちに伝道しなさいと語っておきながら、どうすれば良いかすら教えていない。 そして秋の伝道集会だからお友達を連れてきましょう。それを繰り返していたら、信徒たちは「私は直接福音を語らなくてもいいんだ。間違えて教えたら大変だ」と思い、伝道できないクリスチャンが育っていく。

 

    福田
  1. 教会成長は特別なテクノロジーじゃなくて、「私に留まるなら実を結びます」あるいは「死ぬなら実を結びます」という聖書の約束の実現を、素直に神に期待することだと思う。そして「生めよ、増えよ、地を満たせ」というように、子供が子供を生むという原則も聖書にあるわけです。教会が教会を生む、弟子が弟子を生む、という連鎖が起こるように取り組む、ということだと思うんですが。

 

    大橋
  1. そうでしょうね。最近、福岡伸一(青山学院大学教授)さんが書いた「生物と無生物とのあいだ」という本を読んだんですが、この本のサブタイトルは「生命とは何か?」というのです。そこではいのちを、「自己複製を行うシステム」と定義しています。分かりやすいですね。それを読んで私は、「ああ、我々は教会の命を、まったく違うものに置き換えてしまっていたのではないか」と気付いたわけです。それこそ「霊的いのち」なんて言い方をするけど、でも聖書が言っている命とは、常に再生産するもので、決して単なる躍動感、元気、困難に耐える力などには留まらない。

 

    福田
  1. すぐれたコーヒーメーカーだったら、香り高いコーヒーを入れることができます。できたコーヒーに注目すると、命があるように思うけど、コーヒーメーカーは機械だから命はないんですよね。命があったらコーヒーメーカーがコーヒーメーカーを生み出しているはずです(笑)。

 

    大橋
  1. 教会も同じだと思うんですよ。教会に命があるなら、当然教会を生み出す。クリスチャンに命があるなら、次のクリスチャンを生み出す。そこで初めて命があると考えていいと思う。主の目的はご自分の教会を立てることだから、増殖していくことが御心。

  2. けれどこれまで考えられてきた教会は、伝統的な教職がいて、役員会があって、教会規則があって…そうものを教会と言うかどうかは、少し距離を置かないといけない。もっと違う教会があっていいと考えないと。

 

    福田
  1. 自然界では増殖することが当たり前なので「教会を増殖させよう」ではなく、「増殖を妨げている要因を取り除こう」と考えるべきだと思います。教会内で、何か非常に不自然なことが行われている、という視点です。

 

    大橋
  1. そうですね。以前、ダラスの神学校でA.B.セイデル博士が「アメリカでは、大きな教会がより大きくなろうとして、教会を小さくしている」と聞きました。なるほどなと思います。日本の教会はまだそのことに気付いていないので、1回の集会に何人集まるか、という考え方。それも広がる可能性はあるけど、小さいグループが小さいグループを次々と生み出していければ、それはそれで素晴らしい。

  2. 一番の課題は、再生産が教会レベルでも個人レベルでもなかなか行なわれないこと。再生産を可能にするための手段、方法を具体的に見つけ出していないこと。それと、牧師たちが偉くなると段々と現場から遠ざかってしまうのも課題。一番働き盛りの牧師たちが教団の役員や超教派の会議などに引っ張り出されてしまう。言ってみれば、教会がエース不在、ストライカー不在のチームになっている。その辺も考え直していかないと…課題は挙げればきりがない(笑)。

  3. でも、そんななかで、これまでにない教会形成の動きが起こり始めていることは将来に希望を抱かせてくれますね。変わってきているな、という感触はあります。45歳くらいまでの若い教職者たちには変化が見られますね。世代的に言えばネット世代に該当して、社会環境の変化も彼らの考え方に影響を与えていると思います。ちょっと過激な発言でも、そうだそうだ、という声が飛んできますよ。50代になるとちょっと難しい。60代になるとほとんど無理かな(笑)。団塊の世代で育った人たちだから、教会成長をすぐに競争原理のように位置づけてしまうんですよ。そういう固定概念で見られてしまうのが、教会成長に関わるものとして一番悲しいですね。

 

    福田
  1. イエス様は、「羊飼いのいない羊のように弱り果てて倒れている」群衆をご覧になって、あわれみの心を起こされました。このあわれみの心から出発しない働きは、「教会成長」という用語を使っても使わなくても、神の国の視点から見ると、積極的な意味を持たないのかな、と思っています。

 

リバイバル新聞2008年新年号掲載